第一次世界大戦でドイツ軍およびオーストリア・ハンガリー軍と、ロシア軍とが対峙(たいじ)した戦線をいう。ドイツの作戦計画では、まず西部戦線に全力をあげ、フランスの打倒後、東部戦線に向かうはずであったから、1914年の開戦後は東プロイセンの防御に努めながら、オーストリア・ハンガリー軍の攻撃を支援することになっていた。だがロシア軍は東プロイセンに殺到し、オーストリア・ハンガリー軍はセルビア攻撃に力をそがれてロシア攻撃に至らず、ガリツィア(現、ウクライナ北西部、ポーランド南東部)では敗退した。ドイツ軍は、東プロイセン軍司令官にヒンデンブルク、参謀長にルーデンドルフを起用し、1914年8月末タンネンベルクの戦いでロシア軍を包囲殲滅(せんめつ)した。しかしこれは当初の計画の大幅な修正を意味する。
翌1915年、ドイツ軍はロシア軍を撃退しつつ、リガからピンスクを経てチェルノフツィ(現、チェルニウツィ)に至る線まで進出した。ブルシーロフ麾下(きか)のロシア軍は、1916年6月チェルノフツィで戦史に残る反攻をなした(ブルシーロフ反攻)が、以後急速に崩壊した。1917年3月(ロシア暦2月)および11月(同暦10月)にロシア革命が起こり、12月15日ドイツ軍は革命政府と休戦条約を締結した。ドイツの要求でただちに平和条約交渉が始まるが、トロツキーが「戦争でもなく平和でもない」として交渉を打ち切ると、ドイツ軍は全戦線にわたって攻撃を再開した。ソビエト政府は屈服し、1918年3月3日ブレスト・リトフスクでドイツ側同盟国と平和条約を締結した。
[吉田輝夫]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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