日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドン・カルロス)」の意味・わかりやすい解説
ドン・カルロス((1788―1855))
どんかるろす
Don Carlos
(1788―1855)
全名カルロス・マリア・イシドロ・デ・ボルボンCarlos María Isidro de Borbón。スペインの王位要求者。カルロス4世の子、フェルナンド7世の弟。フェルナンドのわずかな改革にも反対する超保守的勢力は、彼のもとに結集したため、カルロス派=「カルリスタ」とよばれていた。フェルナンドの死の直後、1833年、彼はイサベル2世の即位に対し女子の継承権を認めず、カルロス5世の名で即位を宣言した。この宣言に呼応して内乱、カルリスタ戦争が勃発(ぼっぱつ)する。彼は当時国外にいたが、1834年にナバラに入り、戦争を指揮した。自由主義的、ブルジョア的改革に反対し、教会と伝統の擁護を主張して、バスク、ナバラ、アラゴン、カタルーニャなどで勢力を得た。また、ロシア、オーストリアに支持され、1837年にはマドリード近郊に迫ったが、内部対立、軍事物資の欠乏のため劣勢となり、1839年和平を結び、亡命した。1845年、子に王位継承権を譲る。1855年3月10日当時オーストリア帝国領であった(現在イタリア)トリエステで死去。カルリスタの運動は伝統主義ともよばれ、性格を変えながら20世紀以降現代に至るまで続いている。
[中塚次郎]
ドン・カルロス(シラーの戯曲)
どんかるろす
Don Carlos
ドイツの劇作家シラーの戯曲。1787年刊。スペイン国王フェリペ2世の嫡子ドン・カルロス(1545―68)の早死をめぐる史話をもとにして書かれた五幕の韻文悲劇。初め「王家の家庭劇」として構想されたが、しだいに政治劇的色彩を強め、最終的には人道主義的政治理想の実現を誓い合う2人の青年が、古い政治体制に挑戦し敗北するさまを描いた感動的なヒューマニズムの悲劇となった。王子カルロスはかつての婚約者でいまは継母となっているエリザベトへの恋情を断ち切れず、父王との折り合いも悪い。そこへ王子の幼いときからの友人ポーザ侯が圧制に悩む属領オランダから帰ってきて、王子にオランダ人民を救済するよう頼む。恋と理想の間を動揺する王子を説き伏せ、王子のオランダ行きを画策するうちに、ポーザは策におぼれ、自分の生命を犠牲にするはめに至る。友人の死によって決意を新たにした王子は、王妃に別れを告げに行ったところを父王と宗教裁判長に捕らえられる。巨大な歴史の流れのなかの個人の生き方を見据えようとするシラーの史劇の最初の作品である。この戯曲をもとにイタリアの作曲家ベルディはオペラ『ドン・カルロ』(1866作曲、翌年パリ初演)をつくっている。
[内藤克彦]
『佐藤通次訳『ドン・カルロス』(岩波文庫)』