サリカ法典(読み)サリカほうてん(英語表記)Lex Salica

改訂新版 世界大百科事典 「サリカ法典」の意味・わかりやすい解説

サリカ法典 (サリカほうてん)
Lex Salica

フランク部族の一支族サリ人の部族法典。ゲルマン部族法(典)のひとつ。約80もの写本(最も古いものが8世紀後半,大多数は9世紀以降の作成)によって幾種類かのテキストが今日に伝わっているが,この法典の最古の(原初)テキストはおそらくフランク王国の建設者クロービスの治世の晩年(507-511)に成立したものと推定される。後になって序文跋文が付加され,また後代のメロビング朝諸国王の制定法が付加された。序文はフランク建国以前に行われた法の判告にもとづいてこの法典が成立したことを伝えているが,諸部族法典の中でゲルマン古法の伝統(古来慣習法)を多く保持するものとして注目される。しかし同時に,法典の最初の編纂にさいしてエウリック王法典ないしブルグント部族法典を利用したとみられるし,また明白に国王権力の影響下に成立したと考えられる規定も少なくない。サリカ法典の内容をみると,種々の犯罪について個々の事例ごとに贖罪金(ブーセ)の額を規定したものが圧倒的に多く,訴訟法的規定がこれにつぐが,私法的規定などはわずかである。この法典は,豊富な写本伝承が残されていることからもわかるようにきわめて大きな影響を残した部族法典のひとつであり,フランク帝国法も,刑法,訴訟法,家族・相続法上の諸事項に関してたいていこれを受容している。

 中世初期を通じて法の成文化に対する努力は認められるものの,法秩序と司法の本来の基盤は慣習法にあり,この成文の法典自体が法実務においていかなる意義をもったのかは検討を要する問題である。法典の編纂そのものが司法よりも政治的プロパガンダのための行為であったという見解も出されている。しかし他方でサリカ法典の比較的古いテキストにみられるマルベルク注釈(ラテン語本文の間に挿入された,当時裁判所で慣用されていたフランク語の法術語)や最古のテキストに依拠する新たな編纂や改訂(とくにカール大帝の命による改修サリカ法典)からは,法文を実務上用い,またその後の法発展(慣習法上の)に合致させようとする意図もうかがわれる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サリカ法典」の意味・わかりやすい解説

サリカ法典
さりかほうてん
Lex Salica ラテン語

フランク人の一分派サリ支族の法典で、ゲルマン部族法典中もっとも重要なものである。部族法典とは、ゲルマン系諸部族が口頭で伝承してきた慣習法が、ある時点で成文化されたものと考えられるが、原法典は残存しておらず、後代の写本が残っているだけで、しかも各写本の間にはかなり大きな異同があり、当然最初の成文化以後にも、新しい追加、補足があったと考えられる。

 サリカ法典も、現在の写本は約80種、普通これを5群に分類するが、65章からなる古い形と、70章ないし99章からなる新しい形とに大別され、古い形は本文のラテン語の名詞に相当するフランク語を注記した「マルベルク注解」を含むのが特徴である。原法典の成立年次に関しても諸説があるが、クロービス治世の末年、6世紀初頭とみなす見解が有力である。法典の内容は刑法的規定が大部分であり、最近の研究者は、部族法典、とりわけサリカ法典は、各種の犯罪行為に対する罰金のカタログであると特徴づけている。

[平城照介]

『久保正幡訳『サリカ法典』(1949・弘文堂)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サリカ法典」の意味・わかりやすい解説

サリカ法典
サリカほうてん
Lex Salica

現在のベルギーに建国したサリ系フランク族の慣習法を成文化したもの。ゲルマン諸部族法典中,最古の代表的法典で,かつゲルマン固有法の要素を最も強く保有している。その基本テキストはクロービス王の末年,508~511年に成立した。新テキストはカルル大帝時代に改修されたものである。この法典には各種の贖罪金規定や手続規定のほかに,有名な「サリカ法典の王位継承法」の典拠とされた相続に関する規定などが含まれている。フランク人がヨーロッパの支配者として各地域に跋扈したこともあって,サリカ法はフランク人の属人法としてヨーロッパ各地で効力を有していただけでなく,他の部族の立法にも強い影響を与えた。

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百科事典マイペディア 「サリカ法典」の意味・わかりやすい解説

サリカ法典【サリカほうてん】

サリ系フランク族の古法典。lex Salicaという。中世ゲルマン部族法のうち最も代表的なもの。クロービス1世の末年(6世紀初め)ごろ成立。おもに慣習法を記録し,ゲルマン古法を保持している。→ゲルマン法

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旺文社世界史事典 三訂版 「サリカ法典」の解説

サリカ法典
サリカほうてん
Lex Salica

フランク族の主流をなすサリ支族の法典
ゲルマン諸部族法のうち,最も古いものに属する。慣習法をそのまま記録したものが多く,刑法・訴訟法に関する規定が大部分。他の諸部族法やのちのヨーロッパ諸法に影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内のサリカ法典の言及

【アマ(亜麻)】より

…【堀田 満】
[ヨーロッパにおける利用の歴史]
 エジプト,バビロニア,フェニキアなどの古代文化においてすでに亜麻が用いられていたことはミイラの布などからも明らかである。6世紀初頭に成立したとみられるサリカ法典においても〈誰かが他人の畑地より亜麻を盗み,しかしてそれを馬もしくは荷車にて運び去りたる場合,彼は同じ物あるいは同価のものや贖罪(しよくざい)金の他600デナリウスすなわち15ソリドゥスの責あるものと判決せらるべし〉(27章8節)とあり,亜麻がヨーロッパ大陸においても貴重な素材であったことがわかる。亜麻はときには支払手段としても用いられていた。…

【王国基本法】より

…(2)女性ならびに庶子は王位相続から除外される。これはサリカ法典によるもので,1358年に援用され,1593年に追認された。(3)国王の成年は13歳とされ,未成年の間には摂政がおかれる。…

【ゲルマン部族法】より

…同じくエウリック王法典を基礎にして,ブルグント部族法典(480‐501年グンドバード王の発布)が成立した。ついでフランク人の最古の法記録であるサリカ法典(507‐511成立)が,このブルグント部族法典かエウリック王法典を利用して起草された。7世紀に入ると,フランク法の強い影響下にリブアリア法典が制定される。…

【フェルナンド[7世]】より

…また,アメリカ植民地の独立運動を阻止するだけの能力も有していなかった。晩年の4度目の結婚で初めて2人の娘に恵まれ,男子の王位継承を定めたサリカ法典を廃止し,長女に王位を譲渡できるようにした。33年7月30日,議会(コルテス)は彼女を王位継承者(イサベル2世)として認めたため,第1次カルリスタ戦争が勃発し,スペインは分裂状態に陥った。…

※「サリカ法典」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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