改訂新版 世界大百科事典 「フェルナンド7世」の意味・わかりやすい解説
フェルナンド[7世]
Fernando Ⅶ
生没年:1784-1833
スペイン王。在位1808,14-33年。カルロス4世の子で,1808年3月アランフエスの暴動によってカルロス4世は王子フェルナンドへ王位を譲渡させられた。しかし,スペインを侵略し始めていたナポレオンにバイヨンヌへ呼ばれたフェルナンド7世は父カルロス4世に王位を返還させられた。カルロス4世はナポレオンにスペイン王位を譲渡させられ,ナポレオンの兄ジョセフがスペイン王,ホセ1世として即位した。14年3月ナポレオン軍がイベリア半島から敗退すると,幽閉地から帰国したフェルナンド7世は1812年に制定された自由主義憲法を廃止し,絶対主義君主として統治を始めた。彼の抑圧・反動的な政治は,自由主義的軍人を中心とする一連の反対運動を引き起こし,ついに20年1月の蜂起によって,7月9日議会(コルテス)で憲法宣誓を正式に行わざるをえず,自由主義体制を受け入れた。この自由主義体制は23年10月1日,カディスが,フェルナンド7世の要請を受けて神聖同盟が送り込んだ〈聖王ルイの10万人の王子たち〉によって占領されるまで続いた。このあと,フェルナンド7世は,反対勢力に対して残虐な弾圧を加え,フランス政府の非難を買った。また,アメリカ植民地の独立運動を阻止するだけの能力も有していなかった。晩年の4度目の結婚で初めて2人の娘に恵まれ,男子の王位継承を定めたサリカ法典を廃止し,長女に王位を譲渡できるようにした。33年7月30日,議会(コルテス)は彼女を王位継承者(イサベル2世)として認めたため,第1次カルリスタ戦争が勃発し,スペインは分裂状態に陥った。その2ヵ月後フェルナンド7世は死を迎えた。
執筆者:フアン・ソペーニャ
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報