ドーリン(読み)どーりん(英語表記)Anton Dolin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドーリン」の意味・わかりやすい解説

ドーリン
どーりん
Anton Dolin
(1904―1984)

イギリスバレエ・ダンサー、振付家。1921年イギリスの男性としては初めてディアギレフ・ロシア・バレエ団に参加、軽業(かるわざ)的な動きに長じていたため『青汽車』に抜擢(ばってき)されたのを皮切りに『牝鹿(めじか)』『ダフニスクロエ』などを踊った。35年にマルコワ‐ドーリン・バレエ団を創設し、『ジゼル』などを踊り、その後、アメリカン・バレエ・シアターにも参加した。50年にロンドンフェスティバル・バレエ団(現イングリッシュ・ナショナル・バレエ団)を創設し、61年まで芸術監督を務めた。ロマンチック・バレエの『パ・ド・カトル』を復活させたことでも有名である。

市川 雅]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドーリン」の意味・わかりやすい解説

ドーリン
Dolin, Anton

[生]1904.7.27. サセックス,スリンフォルド
[没]1983.11.25. パリ
イギリスの舞踊家。本名 Sydney Francis Patrick Chippendall Healey-Kay。初め俳優を志したが,1921年 S.ディアギレフのバレエ・リュスに入り,『青い汽車』『部屋』などに出演。ビック・ウェルズ・バレエ団を経て,パートナーであった A.マルコワとマルコワ=ドーリン・バレエ団 (1935~48) ,ロンドン・フェスティバル・バレエ団 (→イングリッシュ・ナショナル・バレエ団 ) を組織,それらの主要ダンサー兼ディレクターをつとめた。 61年退団後もフリーの振付師として活躍。 81年ナイトの称号を受けた。著書『ディベルティスマン』 Divertissement (1931) ,『マルコワ』 Alicia Markova (53) ,『アントン・ドーリン』 Autobiography (60) 。

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