ニジンスカ(読み)にじんすか(英語表記)Bronislava Nijinska

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニジンスカ」の意味・わかりやすい解説

ニジンスカ
にじんすか
Bronislava Nijinska
(1891―1972)

ロシア出身のバレリーナ振付師ミンスクに生まれる。サンクト・ペテルブルグの帝室舞踊学校を卒業。1909年に兄ニジンスキーとともにディアギレフのロシア・バレエ団(バレエ・リュス)に踊り手として参加。21年の『眠れる森の美女』第三幕の改訂をはじめ『結婚』『牝鹿(めじか)』『青い汽車』などを振付け上演、このバレエ団後期を代表する女性振付師であった。その後、パリオペラ座のバレエ・ミストス、イダ・ルビンシュテイン・バレエ団、モンテカルロ・バレエ・リュスの振付師となった。37年以後カリフォルニアに住み、バレエ学校を創設する一方、アメリカのバレエ団に作品を提供した。

市川 雅]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニジンスカ」の意味・わかりやすい解説

ニジンスカ
Nizhinska, Bronislava Fominitshna

[生]1891.1.8. ミンスク
[没]1972.2.22. ロサンゼルス
ポーランド系ロシア人の舞踊家,振付師。 V.ニジンスキーの妹。ペテルブルグの帝室舞踊学校に学ぶ。 1909年 S.ディアギレフのバレエ・リュスの一員となり,同バレエ団のために 21年『眠れる森の美女』を『オーロラ姫の結婚』として改作振付したのをはじめ,『狐』 (1922) ,『結婚』 (23) ,『青い汽車』 (24) などを振付けた。 32~35年パリに自身の舞踊団を組織。ポーランド・バレエの芸術監督を経て 38年アメリカに渡り,以後カリフォルニアに住んで,アメリカン・バレエ・シアター,バレエ・リュス・ド・モンテカルロ,ブエノスアイレスのコロン舞踊団などに作品を提供し,また子弟の養成にも力を注いだ。

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