百科事典マイペディア 「ニジンスカ」の意味・わかりやすい解説
ニジンスカ
→関連項目ボレロ
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ロシア出身のバレリーナ、振付師。ミンスクに生まれる。サンクト・ペテルブルグの帝室舞踊学校を卒業。1909年に兄ニジンスキーとともにディアギレフのロシア・バレエ団(バレエ・リュス)に踊り手として参加。21年の『眠れる森の美女』第三幕の改訂をはじめ『結婚』『牝鹿(めじか)』『青い汽車』などを振付け上演、このバレエ団後期を代表する女性振付師であった。その後、パリ・オペラ座のバレエ・ミストス、イダ・ルビンシュテイン・バレエ団、モンテカルロ・バレエ・リュスの振付師となった。37年以後カリフォルニアに住み、バレエ学校を創設する一方、アメリカのバレエ団に作品を提供した。
[市川 雅]
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…また,史上初めてという10代前半,またはそれに準ずる踊り手,T.トゥマーノワ,バロノワ,リャブーシンスカの3人をベビー・バレリーナとして主役に抜擢し,人気を博したことにある。演目はディアギレフの遺産を踏襲したほか,マシンのシンフォニック・バレエ《前兆》《コレアルティウム》(ともに1933),《幻想交響楽》(1936),《赤と黒》(1939),オッフェンバックの音楽による喜劇的な《パリのにぎわい(よろこび)》(1938),前衛的な《子供の遊戯》(1932),《バッカナール》(1939),バランチンのアブストラクト・バレエ《ダンス・コンセルタント》(1944),フォーキンの《愛の試練》(1936),《パガニーニ》(1939),ニジンスカの《百の接吻》(1935),一座の育てたリシンDavid Lichine(1910‐72)の《卒業舞踏会》(1940)などバレエ史に残る作品を多く初演した。しかし運営面では問題が多く,発足後まもなく創立者の一人ブルムが去り,38年からはマシンが主宰者となる。…
※「ニジンスカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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