ネーウィン(その他表記)Ne Win

改訂新版 世界大百科事典 「ネーウィン」の意味・わかりやすい解説

ネーウィン
Ne Win
生没年:1911-2002

ビルマ(現,ミャンマー)の政治家。プローム県パウンデー郡生れ。1932年ラングーン大学退学後郵便局に勤務。タキン党員となり,タキン・シューマウンと名のる。41年日本軍参謀本部の対ビルマ謀略機関〈南機関〉の手引きで日本へ脱出,軍事訓練を受けたのち,ビルマ独立軍,のちビルマ防衛軍の大隊長となる。しかし44年抗日運動参加,45年3月蜂起する。46年中佐,47年大佐,同年末准将に昇進,48年のカレン族反乱に伴いスミス・ドゥン将軍の辞任により参謀総長に就任する。内乱鎮圧のため49年副首相に任命され,治安が回復した50年に辞任。56年大将。58年選挙管理内閣を組閣し,60年の総選挙後ウー・ヌ政権を返還する。62年3月クーデタで政権を掌握,国会を解散憲法を停止してビルマ式社会主義に基づく国づくりを進める。74年民政移管を実施し大統領に就任するが,81年10月辞任。88年7月までビルマ社会主義計画党議長として党務に専念した。
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百科事典マイペディア 「ネーウィン」の意味・わかりやすい解説

ネーウィン

ミャンマーの軍人,政治家。タキン党員となり,第2次世界大戦前から反英独立運動に参加。1958年,1962年と再度のクーデタで政権を握り,以後革命評議会議長(元首),首相,国防相,軍最高司令官などを兼ね,1974年―1981年国家評議会議長(大統領)。1962年―1988年ビルマ社会主義計画党議長。
→関連項目ウー・ヌミャンマー

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20世紀西洋人名事典 「ネーウィン」の解説

ネー・ウィン
Ne Win


1911.6.24 -
ビルマの政治家,軍人。
元・ビルマ大統領。
プローム県パウンデー郡生まれ。
別名タキン・シューマウン。
ラングーン大学中退後、郵便局員を経て、タキン党員となり1944年に抗日運動に転じて、’48年にビルマの参謀総長になった。’49〜50年は副首相に任命され、’58年クーデターを起こし政権を掌握、革命評議会議長となる。’60年にウー・ヌに政権を返還したが、’62年のクーデターで政権を掌握してビルマ式社会主義を推進した。’74年に大統領に就任した。’81年辞任後はビルマ社会主義計画党議長として活躍。’88年辞任。その後最高実力者として君臨したが’92年引退声明を発表。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のネーウィンの言及

【ミャンマー】より

…カレン族の臨時政府がタウングーに樹立され,カレン国〈コートゥーレー〉の独立が宣言された。ビルマ軍はネーウィン司令官の下に兵員を強化して事態収拾に努め,反政府組織の活動は52年を境に衰退した。このころ国民は,長びく内戦と万年与党の座に安住して腐敗した反ファシスト人民自由連盟に不満を抱いていた。…

※「ネーウィン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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