改訂新版 世界大百科事典 「ノースクリッフ」の意味・わかりやすい解説
ノースクリッフ
Alfred Charles William Harmsworth, Viscount Northcliffe
生没年:1865-1922
イギリスの新聞経営者,大衆新聞の創始者。アイルランドのダブリン地方チャペリゾードに弁護士の子として生まれた。13歳で〈ヘンリー・ハウス・スクール〉の学校雑誌を編集し,父の期待に反してしだいにジャーナリズムに向かった。16歳で《ヤング・ホークス・バジェット》をはじめ数種のロンドン新聞に寄稿をはじめ,翌年《ユース》の編集次長,1884年にはウィリアム・イリフ経営の《バイシクリング・ニューズ》の記者を経て,87年にW.ダーガー・ビル・カーと廉価本の発行をして失敗した。読者の投書に回答する日刊紙《アンサーズ・トゥ・コレスポンデンツAnswers to Correspondents》を88年に12ページ1ペニーで創刊,翌年イングランド銀行の金銀総額をいい当てた者に終身週1ポンドを与える懸賞で,一躍発行部数を増した。94年には倒産状態にあった《ロンドン・イブニング・ニューズ》を買収して立ちなおらせた。96年には弟ロザミアと事務員,労働者,婦人などを対象にした大衆日刊紙の先祖ともいうべき《デーリー・メール》を創刊して大きな成功をおさめ,大衆新聞の時代を開き,さらに1903年に1ペニー日刊婦人紙としてふるわなかった《デーリー・ミラー》を,翌年,半ペニーのはじめての写真新聞に改めて成功した。事業の規模はその後も拡張され,1905年に日曜新聞《オブザーバー》を買い取り,ロザミアと当時世界最大の製紙工場を有するアングロ・ニューファンドランド開発会社をその翌年に創設し,08年には衰微していた伝統ある《タイムズ》の経営権を握り,しだいに回復させたが,私物化したといわれる。第1次世界大戦中にはみずから戦線の視察に出かけた。17年戦時特命全権大使としてアメリカ合衆国に渡り,帰国後子爵を授けられ,翌年には対敵地宣伝部長となって活躍したが,賠償問題に対しても,きわめて強硬な立場をとった。
執筆者:高木 教典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報