タイムズ(読み)たいむず(英語表記)The Times

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タイムズ」の意味・わかりやすい解説

タイムズ
たいむず
The Times

イギリスの代表的な高級日刊紙。『ガーディアン』『デーリー・テレグラフ』とともに「三大紙」と称され、国際的に高い声価を得ている。創刊は1785年。石炭商だったジョン・ウォルターが印刷業に乗り出し、連字活字の宣伝を目的に、『デーリー・ユニバーサル・レジスター』という紙名で発行したもの。3年後には『タイムズ』と改題し、商業上のニュースや告知のほかスキャンダルなども載せるようになった。経営は思わしくなく、政府の補助金を頼りにするほどであったが、1803年に次男のウォルター2世(1776―1847)が後を継ぎ、10年を経ずして世界有数の新聞に成長させた。『タイムズ』が「ザ・サンダラー(雷神)」の異名でよばれるようになったのも、この時代である。ウォルター2世は、政府からの自由の確保、優れた文章による優れた記事、郵便局による海外ニュース独占の打破、日曜紙『サンデー・タイムズ』の創刊、蒸気式印刷機の導入など数多くの功績を残した。なかでも、編集長にトーマス・バーンズ(在任1817~1841)やジョン・ディレーン(在任1841~1877)を据えたことは、功績の第一のものであった。バーンズは、世論の重視を信条として社説健筆をふるい、中産階級の支持を得た。発行部数も1500部前後だったのが、ピータールー事件(1819)に際して、政府に批判的な姿勢をとり始めた時期には7000部に達した。1836年の印紙税軽減以降、伸びは急速で、1837年には1万1000部を記録した。

 1848年にウォルター3世が後を継いでからの編集長ディレーンとのコンビも、『タイムズ』の発展に大きく貢献した。新発明の電信機の採用、輪転印刷機の導入などのほか、報道面ではクリミア戦争(1854~1856)に世界初の戦争特派員を派遣し、他紙の追随を許さない報道を展開した。イギリス政府は、『タイムズ』の記事によって、ロシアに和平意向のあることを初めて知ったといわれる。部数は1848年の3万部から1877年には6万部に伸びた。

 しかし、1887年、アイルランド独立運動の指導者チャールズ・パーネルに関する誤報をしたころから、大衆紙の台頭もあって、社運が傾き始めた。部数は最盛期の1871年6万8000部から急減し、1908年には3万8000部に落ち、その一方で株主の内紛も起こり、廃刊の危機にみまわれた。そこで、同年、株主の一人であったノースクリフ卿(きょう)が資金を提供し、支配権を把握した。経営的には安定したものの、紙面への評価は下がった。1922年にノースクリフ卿が亡くなると、アスター家のジョン・ジェイコブ・アスター5世が経営権を買い戻し、『タイムズ』の伝統を維持していくためにトラスト(信託組織)を設立した。これによって編集の独立を守り抜いたが、経営を建て直すまでには至らず、1966年にカナダ出身の新聞王トムソン卿によって買収された。そのもとで、さまざまな改革が行われたが、新技術導入計画が組合との対立を生み、1979年に1年近くの休刊を余儀なくされる異常事態に陥った。1981年に、オーストラリア出身の新聞王ルパート・マードックに買収され、メディア複合企業ニューズ・コーポレーションの傘下に入った。経営権を握ったマードックは、1985年組合に極秘で新工場の建設を完了し、最新制作システムへの移行を成功させたり、新聞の値下げ競争を仕掛けたりするなど、荒っぽい手段で経営にあたった。部数は、1980年代前半の45万部程度から1990年代後半に70万部を超えたが、近年は2000年72万部から2011年46万部へ大幅に減少している。ウェブ版は1999年からスタートし、2010年3月から他に先駆けて有料化への取り組みを始めている。

[橋本 直]

『磯部佑一郎著『イギリス新聞史』(1984・ジャパンタイムズ)』

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