バジパイ(読み)ばじぱい(その他表記)Atal Bihārī Vājpeyī

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バジパイ」の意味・わかりやすい解説

バジパイ
ばじぱい
Atal Bihārī Vājpeyī
(1924―2018)

インドの政治家。グワリオル出身。早くから民族運動に参加し、またヒンドゥー宗派主義(コミュナル)的団体RSS(民族奉仕団)に入る。大学卒業後ジャーナリストとなる。インド独立後、1951年結成の宗派主義政党ジャン・サングに加わり、1955~1966年党書記。1957年下院議員初当選。1968~1972年党総裁。1977~1979年反国民会議派連合ジャナタ党政権の外相。1980年1月のジャナタ党分裂後はインド人民党BJP)の初代総裁となった。1996年総選挙同党が政権につくと首相に就任するが、政権は短期間で崩壊。1998年総選挙によって同党中心の連立政権が成立するとふたたび首相となる。外相を兼任。BJP内の穏健派として、急進派ヒンドゥー至上主義を抑えるとの一部の期待を裏切り、1998年5月、24年ぶりに2日間で計5種類の核実験を行い、インドを核兵器保有国とした。1999年4月、連立政権に対する信任案を1票差で否決され、発足からわずか1年1か月で退陣したが、1999年9月に行われた総選挙で、インド人民党は182議席を獲得し、ふたたびバジパイを首相とする連立政権が発足した。その後、カシミール地方の領有権をめぐるカシミール問題などで、パキスタンとの関係が悪化。2001年12月の武装グループによるインド国会襲撃事件で緊張が一気に高まるが、アメリカ、中国、ロシアなど各国の仲介もあり、緊張緩和に向かう。2003年4月カシミールを訪問しパキスタンとの関係正常化に向けた友好的発言を行い、5月にはインド・パキスタン間の民間航空機の運航再開を発表。2004年のインド総選挙で国民会議派に敗北して首相を退任し、政界を引退した。

[内藤雅雄 2018年8月21日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バジパイ」の意味・わかりやすい解説

バジパイ
Vajpayee, Atal Bihari

[生]1924.12.25. グワリオル
[没]2018.8.16. ニューデリー
インドの政治家。首相(在任 1996,1998~2004)。雄弁家で詩人としても知られる。グワリオル大学でヒンドゥー文学を専攻。在学中からヒンドゥー教支配を説く民族義勇団に加わり,1951年にはジャンサン党の創設に参加。1957年下院議員に初当選以来,常に上院または下院に当選。1968~72年最大の野党だったジャンサン党総裁を務めた。1975年6月インディラ・ガンジー首相の非常事態宣言発令により逮捕されたが,1976年12月健康を害して釈放されると,野党連合人民党(ジャナタ党)結成に尽力。1977年3月の総選挙でジャナタ党が圧勝すると,モラルジ・デサイ内閣の外務大臣に就任,ジャワハルラル・ネルーをたたえ純粋な非同盟外交を推進すると言明。対ソ関係を崩さずにアメリカ合衆国と友好を深め,また近隣諸国との関係改善をはかった。1980年4月インド人民党(バラティア・ジャナタ党 BJP)を結成。1996年に政権を樹立したが,国会で信任が得られず,わずか 13日で崩壊。1998年,同党が総選挙で第一党となり再び首相に就任した。1998年には 24年ぶりとなる核実験(→核兵器)を強行,国際社会から制裁を受けた。国内では経済改革を進め,その後の高成長への礎を築いた。2004年に選挙で敗れ,首相を辞任。2005年政界からの引退を発表した。

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