経済改革(読み)けいざいかいかく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「経済改革」の意味・わかりやすい解説

経済改革
けいざいかいかく

ここでいう経済改革とは、企業の自主性の拡大と市場メカニズムの導入によって、旧ソ連型計画経済制度の特徴である集権制を改め分権化を進めること。ポーランドの経済学者ブルスの言い方に従えば、社会主義経済運営における伝統的な「集権モデル」を新たな「分権モデル」に切り換えることである。

 経済改革の対象とされた伝統的な計画経済制度は、ソ連で1930年代に成立し、第二次世界大戦後、東欧諸国や中国にも当初そのままの形で移植されたものであり、その特徴は、企業に対する中央からの生産課題・生産財割当配分制を通じて、企業経営上の意思決定権までもが中央計画機関に集中される集権的・非市場的経済システムにほかならない点にあった。そこでは生産課題・生産財の割当を中心に多くの指示命令の形で企業に示達され、企業がそれらを忠実に実行することによって全体としての需給調整が図られるため、ソ連型計画経済は「命令経済」ともよばれた。

 この伝統的ソ連型制度は、経済発展水準が低く、経済構造も単純な段階ではそれなりに有効であったが、経済が発展し複雑化するにつれて、非効率性を露呈するようになった。経済成長率の低下技術進歩の立ち後れ、不良製品の滞貨、国民生活改善の停滞勤労意欲減退といった諸現象の発生がそれである。いいかえると、投資と雇用の増加に頼る外延的(粗放的)発展という経済成長方式が限界にぶつかり、投資効率や労働生産性の向上に基づく内包的(集約的)発展という成長方式への転換が求められる段階に移るにつれて、伝統的計画経済制度はその適応力を失い、そのため多くの否定的帰結をもたらし、改革を迫られるに至ったといえる。

 経済改革は、当然のことながら企業経営に関する意思決定権を中央計画機関から企業自身へ移譲する分権化、およびこれと関連する市場メカニズムの導入という方向をとったが、改革実施のプロセスにはソ連・東欧諸国を中心に三つの波がみられた。第一の波は、スターリン批判(1956)後の1950年代後半で、実施された改革としては経済管理機構再編の小さな波にすぎなかった。しかし、この時期から60年代初めにかけて行われた一連の論争、すなわちポーランドにおける1957~60年の「経済モデル論争」や、ソ連における62~64年の「利潤論争」(問題提起者の名をつけて「リーベルマン論争」ともよばれた)などの経済改革論争はソ連型経済システムを診断し、改革の処方箋(しょほうせん)づくりを準備するうえで少なからぬ役割を果たした。なお、1948年にソ連と対立しソ連ブロックから離脱したユーゴスラビアでは、すでに50年代初めに集権制を離脱し、各企業の労働者集団が直接その企業を管理運営する労働者自主管理制度が導入され、その後その確立を目ざして徹底した経済改革が行われていた。

 第二の波は1960年代なかば前後の時期で、これが事実上、伝統的経済システムを変更しようとする最初の試みであった。第二の波の特徴は、実施された改革内容からみてソ連・東欧諸国の経済改革が、集権制の基本的枠組みを残しながらその枠内で部分的改善(企業に対する指令的計画指標の数の削減など)を行うにすぎないタイプと、そうではなく、生産課題・生産財の割当配分制の廃止と市場(商品市場)の導入を積極的に行ったタイプの二つに分かれた点にある。東ドイツの63年改革やソ連の65年改革(コスイギン改革)が前者であるのに対して、ハンガリーの68年改革とチェコスロバキアの65年以降の改革は後者であった。ただしチェコスロバキアの改革は68年8月のソ連の軍事介入によって圧殺されてしまった。

 経済改革の動きが、以上に続く第三の波として新たな段階を画するようになるのは1980年代に入ってからである。ハンガリーとポーランドで改革がいっそう進展したこと、文化大革命後の中国が「経済体制改革」に取り組み、経済改革の流れに初めて合流するに至ったこと、80年代なかばからペレストロイカのソ連で経済システムの「ラディカルな改革」が志向されるようになったことなどがその示例である。この新段階の特徴は、それ以前に大勢を占めていた伝統的経済システムの部分的手直しにすぎない「改善」志向にかわって、伝統的システムから新システムへの転換を図ろうとする「改革」志向が強まった点にあった。とりわけ80年代後半のハンガリーの改革は商品市場のほかに労働市場、資本市場をも導入し、国有企業の私有化にも着手する画期的なもので、資本主義市場経済への移行を含意するものであった。こうして第三の波の行き着くところ、新しい段階が始まった。すなわち東欧諸国では89年後半の政治的激動によって、またソ連では91年末の連邦解体を通じていずれも共産党支配が崩壊し、その結果これら各国で資本主義市場経済への転換が開始されることになった。

[宮鍋 幟]

『W・ブルス著、鶴岡重成訳『社会主義経済の機能モデル』(1971・合同出版)』『同『東欧経済史 1945―80』(1984・岩波書店)』『岡稔他著『経済学全集31 社会主義経済論』第2版(1976・筑摩書房)』『佐藤経明著『ポスト社会主義の経済体制』(1997・岩波書店)』

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世界大百科事典(旧版)内の経済改革の言及

【社会主義】より

…これに対し片山は,労働を〈富の母〉と意義づけ,社会主義実現の主体として労働者階級を,とくにその〈団結〉を自主的秩序形成能力の培養過程として重視する。また社会主義は,〈都市社会主義〉あるいはトラストという〈資本家的社会主義〉として今日すでに一部行われていると主張したように,漸進主義的な経済改革ととらえられていた。 明治社会主義はまた,人類的な普遍的理念に立脚し平和主義を重要な内容としていた。…

※「経済改革」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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