日本大百科全書(ニッポニカ) 「バンク・オブ・アメリカ」の意味・わかりやすい解説
バンク・オブ・アメリカ
ばんくおぶあめりか
Bank of America
アメリカの大手商業銀行。アメリカのほかの大銀行とは異なり、西海岸のカリフォルニア州で圧倒的な地位を占めているのが特徴である。もともと同行は、イタリア系移民の子アマデオ・ピーター・ジャニーニAmadeo Peter Giannini(1870―1949)が1904年にサンフランシスコのイタリア人居住地域ノース・ビーチに設立したバンク・オブ・イタリーBank of Italyという小銀行として出発した。カリフォルニア州はもとより、全国的にも主要大銀行、とくにウォール街の巨大銀行の支配が確立していた時期に遅れて銀行業界に乗り出した同行が、その後、目を見張るような急発展を遂げるに至ったその秘密は、なによりも「小売り(リテール)銀行」に徹したことにあった。100ドル以下の小額貸付を行う銀行がほとんどなかった当時のサンフランシスコで、バンク・オブ・イタリーがわずか25ドルの貸付を行ったことは有名である。同時に、支店網の拡大に努める一方、他銀行の吸収合併にも意欲を示して急成長を遂げ、1928年に巨大持株会社トランスアメリカTransamerica Corp.の傘下企業として再編成されたあと、1930年にバンク・オブ・アメリカと改称された。1945年にはチェース・ナショナル銀行(チェース・マンハッタン銀行の前身)を追い越して預金額でも資産規模でも全米第一の名門銀行の座についた。1980年代に入り、ラテンアメリカやエネルギー産業に対する融資が大量に焦げつき、倒産寸前にまで追い込まれたものの、海外からの資本調達によって再生した。同行は、形式的には1969年より単一銀行持株会社バンカメリカBankAmerica Corp.の子会社となっており、バンカメリカはチェース・マンハッタン(2000年J・P・モルガンと合併してJPモルガン・チェースとなる)、シティコープ(1998年トラベラーズ・グループと合併してシティグループとなる)と並ぶアメリカの巨大銀行持株会社の一つになった。1998年、バンカメリカは当時全米第3位の大手銀行持株会社ネーションズバンクNationsBank Corp.(1968年設立)と合併して、当時のチェース・マンハッタンを上回る資産規模の銀行持株会社となった。両社とも個人や中小企業を顧客とするリテールに強みをもち、その合併はリテール分野での業界優位をねらったものであった。1999年、合併後の社名をバンク・オブ・アメリカとし、アメリカ国内および海外190か国以上で営業を行っている。1999年の総資産高は6325億7400万ドル、預金高は3472億7300万ドル。
[佐藤定幸・萩原伸次郎]
その後の動き
バンク・オブ・アメリカは2008年末時点で、総資産は約1兆8000億ドル、預金高は8829億ドルまで拡大した。JPモルガン・チェース、シティグループと比べてサブプライムローン関連の損失が小さく、2008年9月のリーマン・ブラザーズ破綻(はたん)の際に一時、買い手候補として名前があがった。同月、事実上の救済合併で経営難に陥っていたメリルリンチを総額500億ドルで買収すると発表、2009年1月に合併を完了した。
[編集部]