改訂新版 世界大百科事典 「パターリア」の意味・わかりやすい解説
パターリア
pataria
11~12世紀ヨーロッパの〈叙任権闘争〉の先駆をなす民衆的宗教運動。パターリアの名は古着(ミラノ方言patée)を売買する〈浮浪者市場〉にちなんで用いられた蔑称である。発端は1045年ハインリヒ3世がミラノ大司教にグイード・ダ・ベラーテGuido da Velateを選んだことに始まる。このことが聖職売買者や司祭妻帯主義者に反対する聖職者の一部と民衆に団結の機会を与えた。運動はアンセルモ・ダ・バッジョ(後のアレクサンデル2世)等に指導されるが,指導者が追放されると,争いが教皇の裁定にゆだねられる。教皇はこの運動を教会改革と位置づけ,アンセルモ,ペトルス・ダミアニや後にグレゴリウス7世になるような重要人物を派遣し,ミラノの民衆に聖界浄化の運動を続けるよう奨励した。ドイツ皇帝による大司教叙任を無効としてグイードを市から追放し,74年教皇が選んだ大司教を正統と宣言する。翌年運動指導者のエルレンバルドErlembaldoが死去し,運動は教皇と袂を分かち,重要性を失う。この結果キリスト教世界の中でも古くからローマのサン・ピエトロ教会と競い,北イタリア一帯に勢力をもつミラノのサンタンブロージョ教会は独自性を弱め,ローマ教会に結びつけられた。運動は都市コムーネの形成にかかわり,支配階層の封建的制約から解放される社会運動的色彩も帯びた。12世紀にはパターリアは異端的傾向を強め,異端のカタリ派を示す名称ともなり,14世紀には総称的に異端者を示す言葉として使われた。
執筆者:佐藤 眞典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報