ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パーニーパットの戦い」の意味・わかりやすい解説
パーニーパットの戦い
パーニーパットのたたかい
Battle of Pānīpat
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インドのデリー北方、パーニーパットPānīpatで戦われた数度の戦争をいう。有名なものは二つある。一つは1526年の戦いで、中央アジアからアフガニスタンを経て、北インドに侵入したムガル帝国の初代皇帝バーブルと、ローディー朝との間に戦われた。これに勝ったバーブルは、北インド一帯に勢力を確立した。
もう一つは1761年の戦いで、デカン高原を本拠として成長したマラータ勢力が北上して、ムガル帝国の実権を奪い取ろうとしたのに対し、それに対抗する諸勢力がアフガン系諸勢力と結んだうえ、アフガニスタン王アフマド・シャー・ドゥッラーニーの来援を要請したため、二大勢力の決戦が行われた。マラータ軍は壊滅的に敗れて後退した。インドを統一する大勢力になるかとみえたマラータの勢力は、この敗北によって、一時的に弱体化せざるをえなかった。
[小谷汪之]
機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...