ヒューエル(その他表記)William Whewell

改訂新版 世界大百科事典 「ヒューエル」の意味・わかりやすい解説

ヒューエル
William Whewell
生没年:1794-1866

イギリスの自然哲学者。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを卒業,同大学教授となる。科学の専門化傾向がようやくはっきりしてきた19世紀前半に,古典的な教養教育と個別科学的な専門教育とのはざまに立って,教育論,科学論の分野で多くの業績を残した。教育論では,基本的には古典教養を改めて重視しつつ,科学教育の導入にも努め,一方では神学を離れてひとり歩きしはじめた科学のあり方を批判し自然神学を強く主張しながら,ドイツ,フランスの例に倣って,科学研究の制度的支援(例えばイギリス科学振興協会BAASの設立)の拡充に協力する,という両面的立場にいた。こうしたなかから,〈scientist〉〈physicist〉など専門的科学研究者を表現する新造語をみずから案出している。科学哲学議論としては,J.S.ミルと帰納主義を巡って論争,C.S.パースの〈abduction〉の先駆ともいえる直観的な営みに力点を置いたことが注目される。また主著の一つといわれる《帰納科学の歴史》全3巻(1837)は事実上一般的な科学史研究の出発点をなしている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒューエル」の意味・わかりやすい解説

ヒューエル
Whewell, William

[生]1794.5.24. ランカスター
[没]1866.5.6. ケンブリッジ
イギリスの哲学者。 1828年ケンブリッジ大学教授。科学史,科学哲学,帰納法の研究で知られ,J. S.ミルらに影響を与えた。主著『帰納科学の歴史』 History of the Inductive Sciences (3巻,1837) ,『帰納科学の哲学』 Philosophy of the Inductive Sciences (40) 。

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世界大百科事典(旧版)内のヒューエルの言及

【科学史】より

…それゆえ,〈科学の歴史〉をたどろうとする試みも,19世紀西欧に始まったといってよい。たとえば,イギリスのJ.プリーストリーの一連の先駆的な仕事,そしてフランスのA.コントが提案した〈科学の歴史histoire de la science〉や,イギリスのW.ヒューエルの著した《帰納科学の歴史》(1837)などが,そうした試みを代表する。もとよりそれ以前にも,すでに個別の学問として成立していた数学や,天文学,医学などに関しては,それぞれに,個別的な学問史が書かれたことがあった(たとえばルクレールD.Leclerc(1652‐1728)の《医学史》(1696,1723)やドランブルJ.Delambre(1749‐1822)の《古代天文学史》(1817)など)が,科学が一つの理念として成立しはじめる19世紀半ば近くになって,ようやく科学史という学問もその理念を体して誕生したといえよう。…

【科学者】より

…かくて,今日みられるようなプロフェッション(知的専門職)としての科学者を,組織的に養成し,再生産することが可能となったのである。1830年代,scientist(科学者)という語が,ケンブリッジ大学の数学者W.ヒューエルによって提案され,従来のnatural philosopher(自然哲学者)に代わって広く用いられるようになったことは,科学の専門職業化をいみじくも象徴しているといえよう。また,19世紀を通じて,科学の専門分化と高度化に対応して,さまざまの分野で個別的・専門的な学会・協会が誕生した。…

※「ヒューエル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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