科学に対する哲学的考察,あるいはその哲学的基礎づけの作業の総称。また,内容的に,あるいは方法論的に科学に接近した哲学傾向一般を指す場合もある。
科学哲学の歴史は,哲学の歴史とともに古い。そもそも,古代ギリシアにおいて哲学が始まったとき,それは〈アルケー=万物の根源〉を問うものとして現れたものであり,それは直ちに,科学そのものの課題の起点でもあったと考えられる。その意味で,哲学は元来,広義の科学哲学として開始されたとも言いうる。現代に直接連続する科学哲学の原型としては,近世初頭のデカルトの哲学を挙げることが至当であろう。彼は当時の数学や自然科学を範型として,いわゆる〈方法的懐疑〉を遂行し,コギト(われ思う)の明証性に至り,心身二元論の哲学を構築し,やがて現在に至る科学哲学への道の先鞭をつけることになる。また,カントの哲学でさえ,その最大の動機の一つがニュートン物理学の基礎づけであるという意味において,科学哲学の一つの範例であったと見ることができる。さらに,イギリス経験論とドイツ観念論の対立論争そのものが科学的認識の基礎づけに関して争われたものであると言える。F.ベーコンの科学方法論への洞察,ロックの実験的精神,D.ヒュームの因果性の分析,G.バークリーの知覚論,さらに,新カント学派諸家の科学批判などはすべてこのような背景の中から生まれたものである。また,科学方法論を直接テーマとしたのはJ.S.ミルであった。科学的帰納推理に関する彼の研究は現代科学哲学の一つの源流と考えられる。この帰納的方法論の尊重はやがて,マッハやデュエムの実証主義の基礎を築き,そして,遂に,現代の科学哲学を生み出すことになるのである。
現代科学哲学の成立と興隆をもたらした直接の契機は,科学と哲学の両面の中に求めることができる。まず,科学の面において,19世紀初頭以来の科学の急展開の結果,科学の細分化が行き尽くし,そこに,科学全般を通ずる方法,課題,概念に対する全的,統一的視野が要求されるに至った。また,他方,物理学を頂点とする科学的世界像は非日常化の一途をたどり,われわれの生活世界との乖離は著しく,ここで改めて,われわれの生活体験と科学的概念,科学的体系,科学的説明などとの関係が新たに,また厳しく問われることになったのである。他方,哲学の領域においては,とくに,20世紀初頭以来,過去の思弁的形而上学に対する反感と批判がさまざまな形の言語分析の哲学を生み,すでに,一種の科学批判の学として成立していた現象学とも間接的に相たずさえて,科学内部における問題意識にこたえて科学哲学を生み出すのである。かくして現れた最初の科学哲学が,マッハ,ポアンカレ,デュエムらの科学者による科学論であり,そして,1930年前後のウィーン学団の新しい活躍の中で,〈科学哲学〉という名称が現代的な意味において徐々に定着していくことになるのである。
(1)科学的世界観の確立 現代の科学哲学は1930年代の論理実証主義の勃興を機に始まったと考えられるが,そこでまず急務とされたのは,過去の形而上学的世界観を排して,科学に基づく新しい世界観を確立することであった。そのために,実証的,経験的命題を認識の唯一の根拠として許容するという厳しい態度がとられ,そこで,経験的命題をほかから識別する規準,いわゆる経験的意味の検証規準が規定される必要があった。しかし,経験的ということを感覚的報告という意味にとるとそこに個人的感覚の私性の問題が生じて,科学としての客観的公共性に至ることができないという難問が起こり,単なる感覚の寄せ集めではない〈物〉を含む言語が科学的世界記述のために必要であるという見解に至らざるをえなかった。この私的な感覚的経験と物世界との関係をめぐる問題はその後も一貫して科学的認識の根拠に関する基本問題として生き続けている。ウィトゲンシュタインによって深められたと言われる〈私的言語〉の問題もその一例。
(2)科学理論の構造 また,現実の科学理論がいかにして構築され,いかなる構造をもち,また,それがいかに対象に妥当するかということも科学哲学の基本的課題である。ミル以来,科学の方法は本質的には経験からの帰納であると言われてきた。しかし,現在〈帰納の正当化〉はひじょうに困難であると見られている。さらに,現代諸科学は単に帰納法によって構築されると見ることは不可能であり,たとえば,物理諸科学に見られるように数学を含む演繹的方法の役割が大きく介入し,〈仮説演繹法〉が科学方法論の基本的形態であると一般に評価されるようになった。これに関連して,ポッパーの〈反証可能性理論〉による帰納の否定の議論は注目に値する。また,これら議論に伴って,科学法則や科学的説明の本性をめぐって多くの新説が現れた。とくに,それらにおける演繹性の強調が大きな特質である。この話題に関してはとくにヘンペルの業績が大きい。また最近,科学史からの教訓として,〈観察と解釈〉の問題が話題を呼んでいる。一般に科学理論は現象の観察から得られるとみなされているが,しかし,実は,この関係は逆転しているおそれがある。すなわち,われわれにとって純粋で中立的な観察というものは元来ありえず,すべてはすでに現に存在している理論や解釈によって汚染されているのであり,したがって,科学革命というものも,新しい観察の出現によってなされるというよりは,むしろその時代の理論的パラダイムの転換によってなされると考えるべきであるということになる。この話題ではT.クーン,ハンソンR.Hanson,ファイヤアーベントなどの業績が大きい。
(3)決定論と自由の問題も一つの重要テーマである。ニュートン物理学が決定論的自然観を明瞭に示しているのに対し,現代量子力学は非決定論の立場に立つように見える。この対立をいかに解釈するかということは,科学の本質に直接かかわる課題である。
(4)心身問題がいわゆる心身科学の急展開に伴って科学哲学の中心的テーマの一つになりつつある。これはまた精神と物質の二元論をいかにして超克するかという哲学それ自体の根本問題に直結する。
(5)論理や数学の本性を問う問題も一つの中心問題である。これらのいわゆる〈必然的真理〉の根拠は,たとえばカントにより,その先天的総合性に求められたりしたが,現代数学や論理学の実態からはこの解釈は困難となり,公理主義や規約主義の考え方が大きく進出する。また,とくに先天性の問題に関しては,たとえば,ローレンツらによる生物学からの挑戦もあり,今後の議論の高まりが予想される。
(6)その他,倫理学や社会科学に関しても類似の科学哲学的考察がそれぞれの領域に浸透している。倫理言語の構造,社会的規範性の根拠,それらにおける経験の役割などが大きなテーマとなる。
→分析哲学 →論理実証主義
執筆者:坂本 百大
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
科学についての哲学的考察を意味する。一般に、「哲学的」という語は多義的であり、それに応じて「科学哲学」という語も多義的になる。しかしそれは広義には、(1)科学といわれるもの、あるいは科学者の営みを客観的に観察し、分析し、記述し、(2)科学がとるべき方法を提案し、(3)科学のあるべき姿を求める、といった知的努力を意味する。
(1)のうち、とくに科学といわれるものを客観的に観察し、分析し、記述する部分は、「メタ科学」meta-scienceともいわれ、基本的には、科学で用いられている概念、法則、理論、およびそこで使われている数学や論理学についての、論理的・記述的分析が、そのおもな仕事となる。この部分は、いわば科学の本体の解明であり、科学哲学の中心をなす。これに対し、科学者の営みを客観的に観察し、分析し、記述する部分は、科学者が科学を発想し、構成し、展開し、検証ないし反証し、さらには、科学を用いて事象や法則を説明し、予測する営みについての、論理的・記述的分析が、そのおもな仕事となる。
(2)は、いわゆる「科学方法論」methodology of scienceといわれる分野であり、とくに、科学を構成し展開していくためにとるべき方法を提案することが、そのおもな仕事である。科学といわれるものを広く客観的知識ととるならば、この分野には、アリストテレスの昔からの連綿とした歴史があり、とくに有名なのは、J・S・ミルの「帰納法」、論理実証主義の「仮説演繹(えんえき)法」、ポパーの「反証主義」、クーンやファイヤアーベントP. K. Feyerabend(1924―1994)らによる「反帰納法」などである。
(3)は、科学を人類史の流れのなかに置いて見直し、人類の幸福のためにそのあるべき姿を求めようとするものであり、「科学論」といわれるものの多くは、これにかかわっている。
したがって科学哲学とは、結局、科学自体から一歩離れて、科学ないし科学者の営みを客観的に眺め、それらの現実の姿およびあるべき姿を求める知的努力である、といえよう。しかし、実は、このような科学哲学には別のねらいもある。それは、科学の限界を自覚し、それによって、科学にまつわる誤解を解くことである。科学というものを、いかなる事象をも取り扱える一つの確固とした学問体系である、とみなすことは誤解である。科学は、それほど万能ではなく、また確固としてもいない。また、科学が与える世界像こそ客観的世界の真の姿である、と考えるのも誤解である。科学は、科学的方法といわれる一定の方法に基づいた探究の結果であって、それによって切り捨てられた部分も多いことを、肝に銘じておくべきである。これらのことを教えてくれる科学哲学は、それゆえ、科学者に対してのみならず、今日のわれわれ一般にとっても、きわめて大きな意味がある。
[黒崎 宏]
『カール・G・ヘンペル著、黒崎宏訳『自然科学の哲学』(1967・培風館)』▽『村上陽一郎著『科学のダイナミックス』(1980・サイエンス社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…19世紀以来,人間の自然本性における理性以外の非合理的なもの,とくに欲求,意欲,意志への自覚に伴い,自然はもはや単に知性による解明の対象としてだけではなく,主体の意欲,意志の実現のための環境,資源,素材と解されて今日に至る。現代の自然哲学は,一方では自然科学の哲学であり,自然諸科学の提示する自然的諸世界像の統合の可能性,自然科学的認識の諸前提と意味とをめぐる考察として,科学哲学の一項をなす。他方,人間の歴史,文化,社会の基盤,母体,原所与としての自然的世界は,人間の無際限な好奇心,欲求,意欲,意志と知性とに対して,どこまでも従順であるか否か,自然の自然本性と自然の一部分である人間の自然本性との間の真の調和とは何であるべきか,このような根本問題に答える必要が生じている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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