日本大百科全書(ニッポニカ) 「パース」の意味・わかりやすい解説
パース(Charles Sanders Peirce)
ぱーす
Charles Sanders Peirce
(1839―1914)
アメリカの哲学者、論理学者。プラグマティズムの創唱者として哲学史のなかで特異な位置を占める。ハーバード大学数学教授の子として生まれ、同大学卒業後、一時、同大学で科学哲学を講じたが、その後合衆国沿岸測量部の技師として技術面で貢献するかたわら、哲学および論理学に関する論文を次々に発表した。しかしそのあまりにも先駆的な業績のゆえに、広く学界に注目されるようになったのは、1930年になって全集(全8巻、1958年完結)が出版されるようになってからである。W・ジェームズや、ジェームズの死後はジェームズ夫人の援助を受けるなどして不遇のうちに死を迎えた。
彼によれば、観念の意味は「その観念の意味が真であることから必然的に帰結すると考えられる実際的な結果」にある。たとえば「重さ」という観念の意味は、その観念が適用される対象の支えをとればその対象は落下するということである。こうした実際的な結果を考えることのできない観念は、無意味な観念として哲学上の議論から追放されなければならない。1878年に公表されたこの主張は、すべての思考過程を行為およびその結果との関連においてとらえるプラグマティズムの起点をなす。それはそれぞれ独自の形ではあるが、W・ジェームズ、J・デューイ、G・H・ミードなどに受け継がれ、さらに1950年代にはホワイトMorton White(1917―2016)、W・V・O・クワインによって「ネオ・プラグマティズム」として新たな展開をみた。また科学的探究方法に関する考察もパースの業績の一つに数えられる。すなわち、科学的認識は仮説形成(発想)、演繹(えんえき)、帰納という3段階を繰り返したどることによって展開するとされ、真理とは究極においてすべての探究者が一致するように運命づけられている意見にほかならないとされる。
[魚津郁夫 2015年10月20日]
『上山春平著『弁証法の系譜』(1963・未来社/こぶし文庫)』▽『R・J・バーンシュタイン編、岡田雅勝訳『パースの世界』(1978・木鐸社)』
パース(オーストラリア)
ぱーす
Perth
オーストラリア西部、ウェスタン・オーストラリア州の州都。面積5386平方キロメートル、人口133万9993(2001)で人口は同国第4位の都市。同州南西部、ダーリング山脈を背後にしてインド洋に面したスワン川河口付近に位置する。地中海式気候(Cs)で、平均気温は最暖月(2月)24.9℃、最寒月(7月)13.1℃、年降水量は745ミリメートル。市街地は23の地方自治体にまたがる。この市街地にクイナナなど周辺の都市を加えたパース都市圏の人口は同州の7割余りを占め、州都として政治、経済、文化の機能が集中する。クイナナの重化学工業を中心に、工業の雇用者数、生産額はともに州の8割前後を占める。ウェスタン・オーストラリア大学(1913創立)、マードック大学(1974創立)がある。国際空港があり、国内主要都市やシンガポールはじめ海外各地と連絡している。また、大陸横断鉄道西端の地で、道路も集中する交通の要衝。
都心部にあたる狭義のパース市は河口から約20キロメートル上流のスワン川北岸に位置し、とくにセント・ジョージ・テラス通りに官庁、企業のオフィスが集中する。河口のフリマントルはその南のクイナナとともに港湾・工業地区で、ウェスタン・オーストラリア州輸入量の約8割を取り扱う。
1829年自由入植地とされ、流刑者導入期(1850~68)を経て、1890年代の金鉱ブームや1960年代以降の鉱産資源開発により急成長した。名称は入植当時のイギリス植民地大臣の出身地であるスコットランドのパースシャー(旧県)に由来する。
[谷内 達]
パース(イギリス)
ぱーす
Perth
イギリス、スコットランド中東部の都市。エジンバラの北約50キロメートル、テー川下流右岸にある。人口4万1100(2002推計)。パースシャー・アンド・キンロス県の県都。1210年獅子(しし)王ウィリアム1世(スコットランド王、在位1165~1214)により勅許自治都市となり、1452年までスコットランドの首都であった。1437年にジェームズ1世が当地で殺されたのち16世紀にかけて、エジンバラがしだいに首都とみなされるようになる。市はハイランドの南縁にあり、グランピアン山脈や多くの湖沼など、観光資源に恵まれる。ハイランド牛の市(いち)が立ち、染色、亜麻(あま)・羊毛、ウイスキー蒸留などの工業がある。近郊のスクーンSconeは9世紀のスコットランド連合王国最初の首都で、地方貴族の宮殿がある。
[米田 巌]