ビュイッソン(読み)びゅいっそん(英語表記)Ferdinand Edouard Buisson

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビュイッソン」の意味・わかりやすい解説

ビュイッソン
びゅいっそん
Ferdinand Edouard Buisson
(1841―1932)

フランス教育学者、教育行政家。1866年よりスイス・ヌーシャテル大学で哲学を担当。1867年ジュネーブ平和会議に参加、「ヨーロッパ合衆国」の結成を主唱した。1879年、文相J・フェリーに登用されて文部省初等中等教育局長となり、師範教育制度の整備、公立小学校の無償化、義務教育制度の確立宗教と教育の分離など、初等教育行政に大きな功績を残した。1890年には視学総監となり、この間『教育学辞典』Dictionnaire de pédagogie全7巻(1893)を刊行。1896年ソルボンヌ大学(パリ大学)教育学教授、ついで下院議員(1902~1914)に選ばれ、教育、平和、慈善事業に尽くす。1927年ノーベル平和賞をドイツのクビッデLudwig Quidde(1858―1941)とともに受賞した。

[大江正比古]

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改訂新版 世界大百科事典 「ビュイッソン」の意味・わかりやすい解説

ビュイッソン
Ferdinand Edouard Buisson
生没年:1841-1932

フランスの政治家,教育学者。パリのプロテスタントの家庭に生まれる。エコール・ノルマル・シュペリウールに入学するが病気のために退学し,独学で哲学の教授資格を取得する。その自由主義的思想から皇帝に対する宣誓を拒否し,スイスに亡命,そこでしばらく大学の教壇に立っていたが,普仏戦争が始まるとともにパリに帰り,戦争孤児収容所を開設した。1871年にパリ市初等教育視学官に任命され,79年には文部省の初等教育局長,さらに96年パリ大学ソルボンヌ校の初代教育学教授となる。1902年以降急進社会党の代議士を2期つとめ,教育,平和,慈善事業に尽くした。13年人権同盟会長。27年ノーベル平和賞受賞。1881-82年,J.F.C.フェリーの教育改革(公立学校の無償,義務教育制度の確立,宗教と教育の分離など)の素案を作成するなど,初等教育の改善に大きく貢献した。彼の編纂した《教育学辞典》(1882-93)は今日でも最高の評価を得ている。
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百科事典マイペディア 「ビュイッソン」の意味・わかりやすい解説

ビュイッソン

フランスの教育家,政治家。パリ大学教授,下院議員となり,婦人参政権実現や,宗教と教育の分離などに尽力,今日でも高い評価を得ている《教育学辞典》編集に当たった。1927年ノーベル平和賞。
→関連項目クウィッデ

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367日誕生日大事典 「ビュイッソン」の解説

ビュイッソン

生年月日:1841年12月20日
フランスの教育家
1932年没

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