日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビュシェ」の意味・わかりやすい解説
ビュシェ
びゅしぇ
Philippe Joseph Benjamin Buchez
(1796―1865)
フランスの哲学者、政治家。復古王政下に「フランス・カルボナリ」党の結成に参加後、1825年サン・シモン派に投じたが、アンファンタンとの理論的対立のため1829年決別し、自らの学派の形成に向かった。翌1830年の七月革命後、共和派の結社「人民の友」に参加、新聞『ヨーロッパ人』において空想的社会主義とカトリック教とが混合した独自の社会理論を展開、労働者生産協同組織による社会進歩と友愛の実現を説き、1840年代には『アトリエ』紙に拠(よ)る労働運動のミリタン(活動家)に強い影響を与えた。また友人ルーPierre-Célestin Roux-Lavergne(1802―1874)の協力を得て史料集『フランス革命議会史』40巻(1834~1838)を刊行。1848年の二月革命後はナショナル派(ブルジョア共和派)に属し、一時立憲議会の議長を務めた。同年の六月事件後はカベニャックを支持したが、1849年の立法議会選挙で落選、1850年政界から引退した。
[服部春彦 2015年6月17日]
『河野健二編『資料・フランス初期社会主義――二月革命とその思想』(1979・平凡社)』