日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンファンタン」の意味・わかりやすい解説
アンファンタン
あんふぁんたん
Barthélemy Prosper Enfantin
(1796―1864)
フランスの社会理論家、実業家。2月8日、銀行家の子としてパリに生まれる。理工科大学卒業後、1823年に師のサン・シモンを知り、師の死(1825)後バザールSaint-Amand Bazard(1791―1832)とともにサン・シモン主義の普及に指導的役割を果たした。彼はサン・シモン主義者を位階的構成をもつ教団に組織して、バザールとともにその最高教父となり、パリ市中での宣教活動や機関誌『地球』などによって信者を増やしていった。しかし、彼の急進的な女性解放論に反対するバザールらは、まもなく教団から脱退した。1832年集会条令違反のかどで禁錮(きんこ)刑を宣告されたが、翌1833年出獄。以後、彼の活動は産業社会の確立というサン・シモン思想の実現に集中され、スエズ運河建設のために国際的な研究組織を設立するなど一貫して努力した。またパリ―マルセイユ間の鉄道会社の重役として鉄道建設と会社の合併を推進した。著書に、バザールらと行った講演集のほか『アルジェリア植民論』(1843)などがある。1864年8月31日没。
[服部春彦]