企業などの経済主体が拠点を置いた場所、ならびにその場所を選択する行為・プロセスをさす。産業立地という用語には農業立地や商業立地を含むが、産業立地が「工業立地」の同義語として用いられる場合も多い。
[加藤幸治]
工場や関連施設などを設置する企業・設置しようとする企業(立地主体)は、できるだけ高い利潤を得ることができる場所を探す。工場であれば、商品の生産に必要な原材料や労働力などを低廉かつ安定的に入手が可能な場所、消費地への輸送や販売が容易である場所などが、一般には利潤獲得にとって有利といえる。しかし、たとえば鉄鉱石と石炭の産地に隣接する人里離れた工業用地は、製鉄業にとっては望ましいとしても、食料品・飲料製造業には市場から遠い分だけ不利となるだろう。それぞれの工場が生産する商品の種類や製造方法に応じて利潤の増大をもたらす事情は異なっているからである。
立地主体が、場所・位置を評価・選択する際の基準となる要素や事柄を「立地因子」とよぶ。立地主体は自らの立地因子に照らして、それぞれの場所に備わった性格や特徴の評価をする。そのため、製造する品目や製造方法の違い、事業主体である企業側の事情などによって立地因子は異なる。ただし、特定の品目の製造方法などは互いに似通ってくるため、同じ産業部門に属する企業の立地因子は相似することが多い。これに対して、それぞれの立地主体が自らの立地因子に基づいて特定の場所を評価した結果、すなわちXという立地主体からみて、Aという場所・位置に備わった性格や特徴で、立地因子に適(かな)うポイントを「立地条件」という。しばしば日常会話のなかでも「Aの立地条件が良い・悪い」といわれるが、厳密にいえば、それは「特定の立地主体Xからみた場合の」という限定がついていることを忘れてはならない。
ところで、立地主体が場所を評価するにあたって、しばしば「社会貢献」とか「故郷に錦(にしき)を飾る」といった理由が重視されるケースもみられる。こうした立地因子は非経済的因子とよばれる。非経済的因子も、特定の立地主体にとっては最重要視すべき因子だということもありうるが、市場競争のなかではあくまで副次的な意味をもつにすぎず、立地因子の中心は利潤を直接的に左右する経済的因子である。経済的因子は収入因子と費用因子から構成される。
歴史的には、石炭から石油へのエネルギー源の転換とともに、炭田への近接といったことが多くの企業の経済的因子ではなくなり、北海道や北九州の立地条件とはいえなくなったことからも知られるように、原材料や動力源の変遷、技術革新による生産方法・規模の変化、交通網の整備による市場圏の拡大などによっても立地因子は変化し、立地条件の評価替えがおこる。そうした場合、すでに立地していた工場は対応(「立地適応」)を迫られることになる。工場の移転など「立地移動」も対応の一つでありうるが、通常は工場の業種・生産品目の転換、操業度の変更、設備変更といったソフト面での対応を図る場合が多い。
工場や特定施設がある地域に集中的に立地すると「集積の利益」が生じ、それがますます同種の工場・施設の立地をもたらす事例がみられる。それは、必要関連業種の誘致や公共機関による必要関連施設の整備が進んだり、とくに中小企業群の場合には、共同的な管理、宣伝、対外交渉などが実現・強化されるからである。ただし、集積が一定の水準を超えて進むと、地代の上昇や労働力不足、公害発生などを招き(「集積の不利益」の発生)、それが契機となって工場・施設の立地が分散に転じることもある。
[加藤幸治]
第二次世界大戦後の日本は、欧米からの技術導入や安価で潤沢な輸入資源に依存する形で、重化学工業化を達成した。この過程で、石油コンビナートに代表される素材型工業が次々に太平洋岸の臨海部で建設された。1960年(昭和35)に閣議決定された「国民所得倍増計画」では、こうした動向に対応すべく「太平洋ベルト地帯」構想が提起された。京浜・中京・阪神・北九州という既成工業地帯に挟まれた地区に社会資本を集中的に投下することで、高度経済成長の中心となる大規模な産業立地の受け皿づくりを目ざした。
しかし、地域間格差の拡大を懸念する非ベルト地域の諸道県が、この構想に猛反発する。政府は、これを沈静化すべく「国土の均衡ある発展」に向けた「全国総合開発計画」の策定を決める。地域間格差問題の解決を、当時問題となっていた大都市圏における過密問題の解消と同時に果たそうとした政府が対応策の中心に据えたのは、国による産業立地の計画的配置(工業再配置計画)であった。すなわち、(1)既成市街地での立地制限を目ざして、工場等制限法(首都圏1959年、近畿圏1964年)、工業再配置促進法(1972)、工場立地法(1973)の工場三法を制定するとともに、(2)地方での工業立地の促進のために新産都市法(新産業都市建設促進法、1962年)、農工法(農村地域工業等導入促進法、1971年)、テクノポリス法(高度技術工業集積地域開発促進法、1983年)などを制定した。既成市街地での立地制限と地方での工業立地の促進の二つを両輪とした政策が実施され、大都市部での過密の是正や、地方における就業機会の確保などに一定の効果を収めた。
しかし、1980年代以降における貿易摩擦の拡大、プラザ合意後の円高の急進を契機とした、日本企業(とくに工場)の海外進出は、国内レベルでの工業再配置計画の効力を大幅に減衰させた。バブル崩壊とも相まって大都市の競争力強化が、国土の均衡ある発展にかわって新たな立地政策の課題として意識されるようになり、長きにわたって日本の産業立地政策を方向づけてきた諸法が廃止されることになった。すなわち、工場等制限法(2002)、工業再配置促進法(2006)、新産都市法(2001)が廃止され、テクノポリス法も関連法と統合して新事業創出促進法(1999)となり、同法も2005年に廃止された。
また四つの全国総合開発計画(1962、1969、1977、1987)と「21世紀の国土のグランドデザイン」(1998)の根拠法である国土総合開発法(1950)が国土形成計画法へ改正(2005)されたことを契機に全国総合開発計画そのものが大きく方向転換され、産業立地にかかわる法律も企業立地促進法(2007)がその中心となった。地域での産業集積の重要性が重視され、その形成・活性化を地方自治体が主体性・自立性をもって行い、国はその取り組みを支援するものとなった。
2000年代になって一段と加速化したグローバル化の下で、企業は海外市場そのものの成長もにらんで、工場・拠点の国際的に最適な立地・配置を図ろうとする傾向を強めている。自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)などの締結も立地因子・立地条件を変化させ、それを考慮した産業立地の変貌(へんぼう)もみられる。
[加藤幸治]
『西岡久雄著『立地論』増補版(1993・大明堂)』▽『小杉毅・辻悟一編『日本の産業構造と地域経済』(1997・大明堂)』▽『松原宏編著『立地論入門』(2002・古今書院)』▽『北川博史著『日本工業地域論――グローバル化と空洞化の時代』(2005・海青社)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加