百科事典マイペディア の解説 フィッシャー・ディスカウ ドイツのバリトン歌手。20世紀後半を代表する名歌手の一人。ベルリン近郊のツェーレンドルフに生まれ,幼時からピアノを,16歳から声楽を学ぶ。第2次世界大戦に従軍後1947年にコンサート歌手としてデビューし,翌年ベルリン市立歌劇場でオペラ・デビュー。1952年ザルツブルク音楽祭,1954年バイロイト音楽祭にも登場し,以後オペラとリート両面で活動。ことにシューベルト,シューマン,ブラームス,ウォルフ,マーラーなどのドイツ・リートの絶妙な歌唱で比類ない名声を得た。ドイツのオペラ・歌曲ばかりでなく,イタリア・オペラ,フランス歌曲から同時代作品までレパートリーも幅広く,ヘンツェの《若い恋人たちへのエレジー》(1961年),A.ライマン〔1936-〕の《リア王》(1978年)などのオペラ,ブリテンの《戦争レクイエム》(1962年)の初演にも参加。歌曲研究書など,著書も多い。1963年初来日。夫人はハンガリー系の名ソプラノ,ユリア・バラディ〔1941-〕。→シュワルツコップ/リヒテル 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 の解説 フィッシャー・ディスカウDietrich Fischer-Dieskau生没年:1925-2012 ドイツのバリトン歌手。1947年にフライブルクでコンサート歌手としてデビューし,さらに48年にベルリンでオペラ歌手としてデビューした。その後,オペラとコンサートの両面で活躍している。オペラ歌手としてもコンサート歌手としても高度の歌唱力とレパートリーの広さを誇り,それらのうちの多くをレコードにおさめている。とりわけドイツ・リートでは一般的にあまり知られているとはいいがたいような作品をもレコード化している。1973年以後は指揮者としての活動にも意欲を示している。シューベルトとシューマンの歌曲研究の著書もある。1963年に初来日。92年歌手としての第一線から退く。執筆者:黒田 恭一 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by