ヘンツェ(読み)へんつぇ(英語表記)Hans Werner Henze

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘンツェ」の意味・わかりやすい解説

ヘンツェ
へんつぇ
Hans Werner Henze
(1926―2012)

ドイツ作曲家。ブラウンシュワイクの音楽学校、ついでハイデルベルクの教会音楽学校でW・フォルトナーに学び、さらにレイボウィッツ門下生となる。1950~1953年ウィースバーデンのヘッセン国立劇場芸術監督に就任。1953年からイタリアへ移り創作活動に専念。1961~1967年ザルツブルクのモーツァルテウムで作曲を教える。1969~1970年キューバで教育・研究活動に携わる。1980年ケルン国立高等音楽学校の作曲科教授に就任。

 若いころから作品が認められ、交響曲協奏曲、室内楽曲などもあるが、とくに現代のオペラ作曲家の第一人者と評価されている。新古典主義から十二音技法、第二次世界大戦後の前衛的様式に至るまでの種々の書法やベルカント的旋律、フランス風の機知など、それまでのオペラのあらゆる要素を統一して独自の舞台芸術をつくりあげた。なかでも『若い恋人たちへのエレジー』(1959~1961)は戦後のオペラの傑作とされている。ほかに『鹿(しか)の王』(1956初演)、『ホンブルクの公子』(1958)、『若き貴族』(1964)、『バッコスの信女』(1965)、『われわれは川に来た』(1976)、三島由紀夫の短編に基づいた『裏切られた海』(1990)などがあげられる。オペラ以外の作品としては、バレエ音楽ラビリントス』(1951)、『オンディーヌ』(1957)、『交響曲第1番~第9番』(1963~1997)、『ピアノ協奏曲第1番、第2番』(1950、1967)、『バイオリン協奏曲第1番、第2番』(1947、1971)、『五つのナポリ民謡』(1956)、オラトリオ『メドゥーサの筏(いかだ)』(1968)、『レクイエム』(1993)などがある。2000年(平成12)高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。

[寺田由美子]

『吉田秀和著『吉田秀和全集3 二十世紀の音楽』新装復刊版(1999・白水社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ヘンツェ」の意味・わかりやすい解説

ヘンツェ

ドイツの作曲家。10代前半から作曲に手を染め,兵役を経て1946年よりハイデルベルクの宗教音楽学校で作曲家フォルトナーの薫陶を受けた。のちレイボビッツにも個人的に師事。《交響曲第1番》(1947年,改訂1963年)で若くして頭角をあらわし,続いて,12音技法(十二音音楽)を採用した《バイオリン協奏曲第1番》(1947年),オペラ《孤独通り》(1952年)などを発表。ウィースバーデンのヘッセン国立劇場で音楽監督を務めたのち,1953年イタリアに移住。以後,作品は抒情性と色彩感を増し,オペラ《鹿の王》(1955年),同《若い恋人たちへのエレジー》(1961年),《交響曲第5番》(1962年)などで名声を決定的にした。1960年代から1970年代にかけては〈政治参加〉の姿勢を鮮明にし,ボーカリストと3人の奏者のための《エル・シマロン(逃亡奴隷)》(1970年)などを発表。ほかに,オペラ《バッコスの信女》(1965年),ピアノ,テープと管弦楽のためのプレリュード《トリスタン》(1973年),オペラ《イギリスの猫》(1983年),《交響曲第7番》(1984年)などがあり,前衛派とは一定の距離をおきつつ,あらゆる技法・様式を統合した自在な作品を書き続けている。→交響曲フィッシャー・ディスカウ
→関連項目ハルトマンホリガー

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ヘンツェ」の意味・わかりやすい解説

ヘンツェ
Hans Werner Henze
生没年:1926-

ドイツの作曲家。1946年ハイデルベルクの宗教音楽学校に入学,ここでW.フォルトナーに作曲を師事。48年R.レイボビッツに個人的に十二音技法を学ぶ。歌劇場指揮者として働いたが,53年にイタリアに移住し,作曲に専念する。61-67年にはザルツブルクのモーツァルテウム音楽アカデミーで作曲を教えた。60年代後半より新左翼運動へ傾倒し,69-70年にはキューバに滞在している。

 作風は拡大された調性,自由な無調,十二音技法によるものなど,きわめて幅が広く,また表現主義的色合いが強い。47年の《バイオリン協奏曲》で初めて十二音技法を用い,以来《交響曲第2番》(1949)や《ピアノ協奏曲第1番》(1950)で十二音技法と新古典主義的様式との融合を試みている。彼の音楽は多くのジャンルにわたっているが,とくにオペラで大きな成功をおさめ,《孤独通りBoulevard Solitude》(1952)では十二音技法,ジャズ的要素,効果的騒音を一体化している。このほかのオペラに《鹿の王König Hirsch》(1955),《若い恋人たちへのエレジーElegy for Young Lovers》(1961),《貴公子Der junge Lord》(1964),《バッコスの信女The Bassarids》(1965)などがある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘンツェ」の意味・わかりやすい解説

ヘンツェ
Henze, Hans Werner

[生]1926.7.1. ギューテルスロー
[没]2012.10.27. ドレスデン
ドイツの作曲家。ブラウンシュワイクの国立音楽学校とハイデルベルクの宗教音楽学校に学ぶ。1949年コンスタンツのドイツ劇場でバレエの指揮者を務め,1950~53年ヘッセン国立劇場の音楽監督。1956年からイタリアのナポリに居住,主としてオペラを作曲。おもな作品はオペラ『村医者』『孤独通り』『鹿の王』『ホンブルクの王子』『若い恋人たちのエレジー』『バッサリーデン』『五つのナポリの歌』。ほかに交響曲,協奏曲など。12音技法(→12音音楽)を用いるが,新古典主義,ロマン主義的作品もある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ヘンツェ」の解説

ヘンツェ

ドイツの作曲家。作風は、新古典主義を思わせる初期の作品から、表現主義、十二音技法へと移り変わっていく。ジャズの語法を採り入れ、十二音技法からは早い時期に抜けている。様々な編成の作品を手がけた。
ブ ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android