日本大百科全書(ニッポニカ) 「フィッシュリ&ワイス」の意味・わかりやすい解説
フィッシュリ&ワイス
ふぃっしゅりあんどわいす
Fischli & Weiss
スイスの2人組の美術家。ペーター・フィッシュリPeter Fischli(1952― )とデビッド・ワイスDavid Weiss(1946― )は、ともにチューリヒに生まれる。1979年から共同で活動を開始。日常生活のなかのありふれたものを素材に、その凡庸さを強調する模写、複製、記録を写真、フィルム、彫刻などでつくる。作品は一種のアプロプリエーション・アートでありながら、芸術制度などを批判するのではなく、現実へのユーモラスで皮肉な眼差しと虚構的な構成を介して、日常というものの現実感を強く意識させ、日常を異化する芸術の機能についても考えさせる。
初期の代表作『ソーセージ製造所』(1979)はデリカテッセンを詳細に写真に収めた。ファッション写真や山岳写真を撮るときの常套手段が用いられたアレンジや撮影によって、ごくありきたりなものがあたかも崇高なものであるように扱われ、そのギャップが既成の価値観に対する遊戯的な見方を示していた。また、86年から87年にかけてつくられた16ミリのフィルム作品『ことの成り行き』は、さまざまな仕掛けによって、物がテーブルから落ちたりやかんが吹いたり、連鎖的に小さな事件が起こるさまが30分にわたり記録され、とるに足らないできごとを手間をかけて再現し記録することのなかで、日常的な空間が不条理なものに変容するさまをとらえ、観客もその変容を体験できるように仕組まれていた。
崇高なものととるに足らないもの、公的なものと個人的なものを対置することで、両者の関係を逆転させたり、境界を取り払ったりするのも作品の特徴である。81年の『突然だけど回顧』では、250もの小さな粘土のオブジェで世界史上の重要な事件が「再現」されていたが、それは「定理の発見に感激するピタゴラス」「『サティスファクション』を完成させて満足して家路につくミック・ジャガーとブライアン・ジョーンズ」といった、恣意的に選ばれた世界史の要約であり、その表現も、再現というよりは、換喩的で冗談めいたリファレンスのようなものだった。そうした姿勢は、2001年(平成13)の横浜トリエンナーレで展示された『可視的世界』にも反映されている。それは、87年から2001年の間に彼らが世界中で撮りためた2800枚の写真のカラー・ポジフィルムをライトテーブルの上に展示したものだった。そこでは、さまざまな細部が等価に並べられることで、現実が表現しつくせないものであることが示されると同時に、もっとも観光的な場所を絵はがきのようなスタイルで撮った写真を通して、現実の見方がすでにある写真的表現の影響を受けざるを得ないことが暗示されていた。
87年と97年のドイツのミュンスター彫刻プロジェクトでは、彼らは、彫刻の公的役割について考察を促す作品を作成した。87年には、ミュンスターの駅の向かいにある4階建てのビルのなかに、着色されたプレクシグラス(透明な合成樹脂)の同じビルの5分の1の模型を設置し、歴史的な都市の現代都市としての再生について考えさせ、97年には、街の中心部にある果樹園で、19世紀には動物の形に植え込みを刈り込んだロマンチックな庭園として使われていた場所を借りて庭師として働き、鑑賞用ではない植物を植えた植物園をつくった。
80年代に評価を確立したが、その日常性についての多様な探求の方法により90年代を通して若いアーティストたちへの影響力をもち続けた。92年ロンドン、ヘイワード・ギャラリーの「ダブルテイク」展、97年ドクメンタ10(ドイツ、カッセル)、98年「日常性」をテーマとしたシドニー・ビエンナーレに参加、99年パリ市近代美術館で個展を開催。2003年のベネチア・ビエンナーレでは、最も優れた作品をつくったアーティストに贈られる金獅子賞を受賞した。
[松井みどり]
『Dan GrahamThrough the Looking Glass, Darkly; Fischli/Weiss (in Art Forum, September 1992, Art Forum, New York)』▽『Daniel Kothenschulte et al.Mike Kelley-Peter Fischli, David Weiss (2001, D. A. P. , New York)』▽『Boris Groys, Marjorie JongbloedAC; Peter Fischli and David Weiss (2002, Verlag der Buchhandlung Walther König, Köln)』