フォーサイス(William Forsythe)
ふぉーさいす
William Forsythe
(1949― )
舞踊家、振付家。ニューヨーク州生まれ。ジョナサン・ワッツJonathan Watts(1933― )、マギー・ブラックMaggie Black(1930―2015)らに手ほどきを受けた後、1971年から1973年までジョフリー・バレエ団で学ぶ。1973年、オーディションに合格してシュトゥットガルト・バレエ団に入団するが、この年ジョン・クランコが急死したため、グレン・テトリーGlen Tetley(1926―2007)、マリシア・ハイデMarcia Haydée(1939― )らの指導を受け、振付家として頭角を現す。振付処女作『ウルリヒト』(1976)をはじめ、1981年までに同バレエ団に10作品を振り付ける。なかでも『オルフェウス』(1979)は既成の価値に対する反逆精神に富んだ意欲作であり、その後のフォーサイスの姿勢を暗示させるものであった。1983年フランクフルト・バレエ団に振り付けた『Gänge』によってフォーサイスは独自の作品傾向を明確に意識した。翌年、エゴン・マドセンEgon Madsen(1942― )の後任としてフランクフルト・バレエ団の芸術監督に任命され、『アーティファクト』(1984)、『インプレッシング・ザ・ツアー』(1988)、『リムズ・セオレム』(1990)など次々と発表した。個々のダンサーは、自発的に動きを分析し再構築できるプログラムをもつ、自立したメディア(情報伝達媒体)として考えられる。コンピュータなど電子メディアの思考回路から発展させた考え方で、これは振付家が動きを指示する従来の振付けの概念を大きく変える創作法である。また、ステップなどの動きや、構成の面ばかりでなく、照明や装置によって舞台空間を大胆に分割し、同時多発的にダンスが展開する作風はきわめて脱構築的である。ダンスの概念それ自体について考えさせられるダンスを志向する、ポスト・モダニズムの振付家として位置付けることができるだろう。おもな作品には、ほかに『セカンド・ディテール』(1991)、『アズ・ア・ガーデン・イン・ディス・セッティング』(1992)、『エイドス・テロス』(1995)、『シックス・カウンター・ポイント』(1996)などがある。1999年9月からはシアター・アム・トゥルムの芸術監督も兼任している。
[國吉和子]
『『日本公演プログラム』(1991、1993、1994、1995、1996、1999・日本文化財団)』▽『ハイディ・ギルピン「静止と不在の力学。ピナ・バウシュ、ヤン・ファーブル、ウィリアム・フォーサイスの舞踊パフォーマンス」(『批評空間』第10号所収・1993・福武書店)』▽『浅田彰監修『フォーサイス1999』(1999・NTT出版)』
フォーサイス(Frederic Forsyth)
ふぉーさいす
Frederic Forsyth
(1938― )
イギリスの小説家。ケント州アッシュフォード生まれ。トンブリッジ・スクールを卒業後、空軍戦闘機パイロットとなったのち、3年間の地方記者生活を経て、ロイターの通信員としてパリ、旧東ベルリンなどで活躍する。その後、BBC放送移籍を経て、フリーのルポライターとしてナイジェリアに駐在した。1969年、内戦を取材したノンフィクション『ビアフラ物語』を出版した。小説としてのデビュー作『ジャッカルの日』(1971)で一躍注目を浴び、映画化されるなど、たちまち世界的なベストセラー作家となった。これは、ド・ゴール大統領の暗殺をめぐる物語で、現実の国際事件を基にリアルな筆致と豊かな想像力で描かれた活劇サスペンスであり、MWA(アメリカ探偵作家クラブ)長編賞を受賞した。続いて、ナチスの犯罪を扱った『オデッサ・ファイル』(1972)を発表。続く『戦争の犬たち』(1974)はフォーサイス自身が、印税を資金として傭兵(ようへい)を雇い、赤道ギニア共和国のマシアス政権転覆を企て失敗したいきさつを小説化したものとされている。その後、作家としての引退を宣言した。しかし、5年後には復活し、『悪魔の選択』(1979)を発表。さらに『第四の核』(1984)、『ネゴシエイター』(1989)などの国際謀略小説を刊行し続けた。1996年には、『イコン』の発表と同時にふたたび引退を宣言したものの、以後、『マンハッタンの怪人』(1999)、短編集『戦士たちの挽歌(ばんか)』(2001)と作品を書き続けている。
[吉野 仁]
『篠原慎訳『ビアフラ物語――飢えと血と死の淵から』(1982・角川書店)』▽『山岸勝栄訳『フォーサイス短編選』(1996・こびあん書房)』▽『伏見威蕃訳『翼を愛した男たち』(1997・原書房)』▽『篠原慎訳『マンハッタンの怪人』『戦士たちの挽歌』(2000、2002・角川書店)』▽『篠原慎訳『ジャッカルの日』『オデッサ・ファイル』『戦争の犬たち』『悪魔の選択』『第四の核』『ネゴシエイター』『神の拳』『イコン』(角川文庫)』
フォーサイス(Peter Taylor Forsyth)
ふぉーさいす
Peter Taylor Forsyth
(1848―1921)
イギリスの会衆派教会の牧師、神学者。スコットランドのアバディーン生まれ。学業ののち牧師の職務を経験してから、ロンドンで教育と教会行政と伝道に活躍した。自由主義的神学の立場から出発したが、パウロ的宗教改革的な立場へと神学的回心を経験し、人間の罪を深刻に認識し、キリストの十字架による救いの重要性を強調する終末論的性格の強い多数の著作を執筆した。主著に『イエス・キリストの人格と位置』『信仰・自由・未来』『教会と秘蹟(ひせき)』など。
[川又志朗 2018年1月19日]
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フォーサイス
Forsyth, Frederick
[生]1938.8.25. アシュフォード
イギリスの作家。ジャーナリスティックな形式と,国際政治情勢や人物を題材にした早いストーリー展開で知られ,数々のベストセラー推理小説を生み出した。スペインのグラナダ大学に学び,イギリス空軍に勤務したのちジャーナリズムの世界に入る。 1958年から 1961年までイギリスのイースタン・デイリープレス紙の記者を務め,1961年から 1965年までロイターの特派員としてヨーロッパ各地に駐在。その後BBCの特派員となるが,ビアフラ戦争を取材した際にナイジェリア政府を批判したことをきっかけに退社。このとき書いたのが戦争ルポルタージュ『ビアフラ物語』 The Biafra Story (1969) である。フォーサイスの作品がきわめてリアルなのは,こうしたニュース特派員としての経験と知識による。最初の小説であると同時に最高傑作と評価される『ジャッカルの日』 The Day of the Jackal (1971) は,フランスのシャルル・ドゴール大統領暗殺計画に関して実際に耳にした噂をもとにした作品 (1973年に映画化,1997年には『ジャッカル』 The Jackalとしてリメークされた) 。その後もナチス戦犯の追跡をテーマにした『オデッサ・ファイル』 The Odessa File (1972。 1974映画化) や,アフリカの架空の国のクーデターを描いた『戦争の犬たち』 The Dogs of War (1974。 1980映画化) など,入念な調査に基づく推理小説を次々に発表した。世界や歴史を変える個人の力が強調されているのが,フォーサイスの小説の特徴である。
フォーサイス
Forsyth, Alexander John
[生]1769.12.28. ベルヘルビー
[没]1843.6.11. ベルヘルビー
スコットランド長老派の牧師,発明家。 1805年から 1807年にかけ,起爆剤を強打して発火させる,銃器の撃発式点火装置を発明した。これによって,それまでの火打石式点火装置のように火花が飛び散ることがなくなった (→燧発銃 ) 。牧師の子に生まれたフォーサイスは 1790年,父の死後その跡を継いだが,余暇に銃器の研究を始め,まず,当時使われていた点火薬の改良を試みた。 1805年に開発した最初の点火装置は,銃身の後端に微量の塩素酸カリウムを装填し,撃鉄を打ちおろしてその衝撃で発火させた。翌春,この装置を持ってロンドンに赴き,兵器局から仕事を与えられた。そして 1807年までに,装置を既存の銃に使えるようにして特許をとったが,仕事を打ち切られ,その後の約 15年間を,猟銃の生産と自分の特許を競合者たちから守ることに費やした。後年,政府からわずかな年金を支給されることになったが,受給前に世を去った。
フォーサイス
Forsyth, Sir Thomas Douglas
[生]1827.10.7. バークンヘッド
[没]1886.12.17. イーストバーン
イギリス東インド会社社員。 1848年インドに渡り,57年のインド大反乱の鎮圧に功績を立てた。 69年アフガニスタンの国境問題についてロシアと交渉するためペテルブルグを訪れた。 70年ヤールカンドに派遣されたが,ヤクブ・ベクは出征中で会えず,73年再訪してカシュガルで会い,東トルキスタンについて見聞を広めた。 75年ビルマ (現ミャンマー) のマンダレーの王宮を訪問した。 76年インドを離れてイギリスに帰り,退社してインドの鉄道建設事業に尽力した。著書に"Report of a mission to Yarkund in 1873" (1875) ,"Autobiography" (87) がある。
フォーサイス
Forsythe, William
[生]1949.12.30. ロングアイランド
アメリカ生れ,ドイツの舞踊家,振付師。フロリダ大学卒業。 J.ワッツらに師事し,ジョフリー・バレエ団を経て,1973年シュツットガルト・バレエ団に入団。マーラーの音楽による『ウルリヒト』 (1976) を振付けて,地位を確立した。以後,H.ヘンツェら現代音楽家による曲を用い,哲学的解釈を求めるような作風で注目を集める。 84年フランクフルト・バレエ団の芸術監督に就任し,同バレエ団の名を世界的に高めた。代表作は,A.フランクリンと D.ワーウィックが歌う曲による『ラブ・ソングズ』 (79) ,イメージの断片を集めた『インプレッシング・ザ・ツァー』 (88) など。
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「フォーサイス」の意味・わかりやすい解説
フォーサイス
米国の舞踊家,振付家。ニューヨークに生まれる。17歳でバレエを学び始め,M.グレアムの舞踊理論も習得。1973年に渡欧し,シュツットガルト・バレエ団に入団。同バレエ団で作品を発表すると同時に,各地のバレエ団にも作品を提供する。1984年フランクフルト・バレエ団の芸術監督に就任。T.ウィレムスなどの現代音楽,ポップスやソウルを用いた斬新な作品を1970年代後半から発表し,近年はCD-ROMによる振付も試みるなどバレエ界のポスト・モダン時代を先導する寵児(ちょうじ)となった。《ラブ・ソングス》(1979年),《インプレッシング・ザ・ツァー》(1987年―1988年)などが知られる。→クランコ
→関連項目勅使川原三郎
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フォーサイス
Peter Taylor Forsyth
生没年:1848-1921
イギリスの会衆派教会牧師,神学者。スコットランドのアバディーン大学で学び,のちにドイツに留学し,ゲッティンゲンでリッチュルから自由主義神学を学んだ。帰国後,1901年ロンドンのハックニー・カレッジの学長となってからは,初期の自由主義的立場を修正し,近代的な歴史批評学と伝統的な福音主義との融合に努めた。09年に刊行した《イエス・キリストの人格と地位》においてキリストの十字架上の贖罪を強調し,同時に教会,聖礼典,教職制の重要性を指摘して,自由教会の一般的傾向であった個人主義的反教義的宗教性を厳しく批判した。生前その神学はあまり評価されなかったが,40年代以降自由教会を代表する神学として評価を受けている。
執筆者:八代 崇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フォーサイス
生年月日:1827年10月7日
イギリスのインド行政官
1886年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報