クランコ

百科事典マイペディア 「クランコ」の意味・わかりやすい解説

クランコ

英国の舞踊家,振付家。南アフリカ生れ。15歳で初の振付作品を発表。1946年ロンドンのサドラーズ・ウェルズ・バレエ団に入団。同団がローヤル・バレエ団改称(1956年)する前後に多くの作品を手がけた。ブリテンのバレエ音楽《パゴダ王子》(1957年)で振付家としての名声を確立し,この作品を提供したシュツットガルト・バレエ団に招かれて1961年総監督に就任無名だった同バレエ団を世界一流に鍛え上げた。このバレエ団からはクランコの影響下,現代バレエ界を代表する振付家,ノイマイヤーキリアンフォーサイスらが輩出している。代表作に《ロミオ(ロメオ)とジュリエット》(1957年,改訂1962年),《オネーギン》(1965年),《じゃじゃ馬ならし》(1969年)などがある。米国公演の帰路,航空機上で心臓麻痺のため46歳で死去。→火の鳥

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「クランコ」の意味・わかりやすい解説

クランコ
John Cranko
生没年:1927-73

イギリスの舞踊家,振付家。南アフリカのケープタウン大学でバレエを学ぶが振付に興味を持ち,2年後には最初の作品を発表する。ロンドンに移りサドラーズ・ウェルズ・バレエ団,サドラーズ・ウェルズ劇場バレエ団で踊る。後者のために創作した,港町を背景に艦長を恋する物売女を喜劇風に描いた《パイナップル・ポール》(1951)が大成功を収め,振付家としての地位を確立する。1961年シュトゥットガルト・バレエ団の総監督となり,この無名の一座を一流バレエ団に育てた。イギリスではほかに《4月のハーレキン》《ボン・ブーシュ》等の作品があり,ドイツでは《ロミオとジュリエット》《じゃじゃ馬馴らし》が代表作である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クランコ」の意味・わかりやすい解説

クランコ
くらんこ
John Cranko
(1927―1973)

イギリスのバレエ振付家。南アフリカ連邦のルステンバーグに生まれる。20代前半から振付家となり、サドラーズ・ウェルズ・バレエ団のために『パゴダの王子』(1957)などを振り付けたほか、自分の名前をもじったレビュー『クランクス』で一躍有名になった。1961年、ドイツのシュトゥットガルト・バレエ団の芸術監督になり、『ロミオとジュリエット』『オネーギン』『じゃじゃ馬馴(な)らし』などを振り付け、同バレエ団を世界的な水準に引き上げた。

[市川 雅]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クランコ」の意味・わかりやすい解説

クランコ
Cranko, John

[生]1927.8.15. ルステンブルク
[没]1973.6.26. ダブリン
南アフリカ生れ,イギリスの振付師。ケープタウン・バレエ・クラブ,サドラーズ・ウェルズ・バレエ団で踊ったのち,1942年『兵士の物語』を振付け,振付師としてデビュー。 46年ロンドンに移り,ロイヤル・バレエ団で『パイナップル・ポール』 (1951) ,『貴婦人と馬鹿』 (54) ,『パゴダの王子』 (57) などを発表し,現代イギリス・バレエに確固とした地位を築いた。その後,ロイヤル・バレエ団を離れ,ニューヨーク・シティー・バレエ団やパリ・オペラ座バレエ団,バレエ・ランバートに委嘱されて作品を発表。 61年西ドイツのシュツットガルト・バレエ団のディレクターになり,『ロミオとジュリエット』 (62) ,『オネーギン』 (65) ,『じゃじゃ馬ならし』 (69) などの演劇色の濃い作品を作った。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android