日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
フランス・アフリカ諸国首脳会議
ふらんすあふりかしょこくしゅのうかいぎ
Conférence des chefs d'États de France et d'Afrique フランス語
フランスと旧フランス領アフリカ諸国の首脳が政治、経済などの問題を話し合い、相互理解と信頼、連帯を深める目的で1973年から当初年1回、現在は隔年開かれている会議。開催地は、フランスとアフリカ諸国で会議ごとに交代し、開催地国の元首(大統領、国王)が議長を務める。初めはフランスとサハラ以南のフランス語圏諸国が参加したが、しだいに旧ベルギー領諸国、旧イギリス領諸国、旧ポルトガル領諸国、北アフリカ諸国、リベリアなどが加わり、参加国は40か国近くになった。当初「参加国」「オブザーバー」の区別があったが、これもなくなった。
1970年代初め、フランスの大統領がドゴールからポンピドーにかわり、対アフリカ政策の改訂が課題となり、モーリタニア、マダガスカルのフラン圏離脱によりフランス語圏の連帯の危機も迎えていた。フランスと旧フランス領諸国の意志の疎通と連帯の強化を図るため、ニジェールのハマニ・ディオリ、コートジボワールのウフェボワニ、セネガルのサンゴールの、3大統領が中心になり参加を呼びかけ、12か国の参加を得て、第1回は1973年11月13日、パリのエリゼ宮殿でポンピドーが議長となり開催された。討議の議題は、フランスの協力政策、フランス語圏の改組、ヨーロッパ共同体(EC、現ヨーロッパ連合・EU)との連合、サヘル地域の干魃(かんばつ)の対策などであった。ジャーナリズムはこの会議を旧フランス領アフリカ諸国の「第二の独立」と評し、サンゴール大統領は「フランス式コモンウェルス(連邦、団体)への第一歩」と言明した。1988年の第15回会議は、当時アフリカ統一機構(OAU)を脱退中のモロッコのカサブランカで開かれ、旧イギリス領諸国なども含め38か国が参加し、この会議から「参加国」「オブザーバー」の区別も廃止された。会議では国際・国内紛争もとりあげられ、緊張緩和に努力しており、フランス式コモンウェルスになっている。
[藤井宏志]
『那須国男著『アフリカを知るための10章』(1994・第三書館)』