サンゴール(読み)さんごーる(英語表記)Léopold Sédar Senghor

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンゴール」の意味・わかりやすい解説

サンゴール
さんごーる
Léopold Sédar Senghor
(1906―2001)

セネガルの政治家、詩人。旧フランス領西アフリカにおける民族・文化運動指導者。セレル人商人の家に生まれ、ダカールのカトリック系学校で学んだあと、パリ大学で文学を学び教授資格を取得し、トゥールおよびパリで教鞭(きょうべん)をとる。第二次世界大戦中、フランス軍に参加したがドイツ軍の捕虜となり、1942年釈放後はレジスタンス運動に加わった。大戦終結後、フランス制憲議会議員、フランス国民議会議員に選出され、フランス社会党と連携しながら、「アフリカ社会主義」を目ざして、西アフリカの独立運動を進めた。同時期、『影の歌』(1945)、『ナエットのための歌』(1948)などの詩集を発表するほか、パリで『プレザンス・アフリケーヌ』誌を創刊(1947)、黒人文化の創造性を主張する「ネグリチュード」運動を進めた。1959年にフランス領スーダン(現マリ)とともにマリ連邦を結成し、翌1960年に独立、モディボ・ケイタ大統領、サンゴールが連邦議会議長となった。しかし、両者間の対立によって、マリ連邦は3か月で崩壊、サンゴールはセネガル共和国の初代大統領になった。その後、1980年まで大統領を務め、親西欧的外交政策をとり、穏健な社会改革路線をとり続けた。1983年アフリカ人として初めてアカデミー・フランセーズ会員に選ばれた。

[中村弘光]

『日本セネガル友好協会編・刊『レオポルド・セダール・サンゴール詩集』(1979)』『登坂雅志訳編『ブラックアフリカ現代詩選』(1993・花神社)』『Janice S. SplethLeopold Sedar Senghor(1985, Twayne Publishers, Boston)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンゴール」の意味・わかりやすい解説

サンゴール
Senghor, Léopold

[生]1906.10.9. フランス領西アフリカ,ジョアール
[没]2001.12.20. フランス,ベルソン
セネガルの詩人,哲学者,政治家,言語学者。大統領(在任 1960~80)。フルネーム Léopold Sédar Senghor。ジョアール出身のセレル族。カトリック系の小学校を卒業,首都ダカールへ出て,優等で中等教育(→リセ)を終了。1928年奨学金を得て渡仏。ルイ・ル・グラン校,ソルボンヌ大学を経て,アフリカ人初の高等教育教授資格(アグレジェ)を取得。その後しばらくはパリのマルセラン・ベルテロー校などでヨーロッパ古典文学,アフリカの言語と文化を教えた。1942年フランスの対独レジスタンス運動に参加,ドイツ軍の捕虜となり収容所生活を経験。1945年セネガル代表のフランス国会議員。1948~58年フランス海外国民学校教授。1960年セネガル独立後の初代大統領。1962年ママドゥ・ディア首相のクーデターが失敗に終わり,サンゴール体制は続いた。1972年にはアフリカ=マダガスカル協力機構(のちアフリカ=モーリシャス共同機構)議長に選出された。1978年2月大統領に 5選されたが 1980年12月任期途中で辞職。アフリカ社会主義の理論的指導者の一方,1940年代半ばから詩集を発表。そのほか,文学論随筆,政治論文,言語学論文などを発表している。また,黒人文学運動ネグリチュードの提唱者の一人としても有名。『影の歌』Chants d'ombre(1945),『黒いいけにえ』Hosties noires(1948),『エチオピック』Éthiopiques(1956)などの詩集がある。ダグ・ハマーショルド賞をはじめ,国際的な賞を多く受賞。1984年,アカデミー・フランセーズ史上初のアフリカ人会員に選ばれた。(→アフリカ文学

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