フーゲンベルク
ふーげんべるく
Alfred Hugenberg
(1865―1951)
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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フーゲンベルク
Alfred Hugenberg
生没年:1865-1951
ドイツの政治家。1891年官界に入り,プロイセン東部植民行政,とくにゲルマン化政策を推進,また拡張主義的右翼団体全ドイツ連盟創設にも関与した。1909年クルップ社の総支配人に就任,ルール重工業の利害を代表した。16年以降,出版,新聞,映画界に一大コンツェルンを築いた。第1次大戦後,政界に進出,国家国民党国会議員となり,反ワイマール共和国路線を主張,28年党首就任後は共和国打倒,権威主義体制確立に努め,共和国崩壊に大きな役割を演じた。33年1月,ヒトラー政権に蔵相・経済相として参加したが,同年6月意見の対立から辞職した。
執筆者:木村 靖二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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フーゲンベルク
Hugenberg, Alfred
[生]1865.6.19. ハノーバー
[没]1951.3.12. キューケンブルフ
ドイツの実業家,政治家。プロシアの官吏であったが,1907年実業界に入り,フランクフルト鉱業銀行支配人となった。次いでクルップの重役に招聘され,27年ウーファ社長となり,さらにドイツ諸新聞の支配権をも獲得してフーゲンベルク・コンツェルンを形成した。 28年ユンカーと旧重工業資本の利益を代表して,右翼的なドイツ国家人民党の党首となり政界に進出。世界恐慌下でヒトラーの提携が策され,33年1月にヒトラー内閣の農相および経済相として入閣したが,ナチス独裁の進展とともに6月失脚,国家人民党も解散した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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フーゲンベルク
生年月日:1865年6月19日
ドイツの実業家,政治家
1951年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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