ブラウン・セカール
ぶらうんせかーる
Charles Edouard Brown-Séquard
(1817―1894)
フランスの生理学者。インド洋のモーリシャス島に生まれ、アメリカ人ブラウンを父に、フランス人セカールを母とする。1840年パリで医師となり、C・ベルナールのもとで生理学を研究、1851年アメリカに渡り、1854年リッチモンド大学教授となる。モーリシャスのコレラ流行時と、1861年から4年間、ロンドンのてんかん病院に勤務して診療に従事したほかは研究を続けた。1864年ハーバード大学教授となり、1867年帰国して、パリ大学教授に就任した。1878年ベルナールの死後、コレージュ・ド・フランスの教授を継いだ。
彼の行った研究は神経系統、内分泌系統の分野で、おもな業績に、「神経の伝導経路の証明(脊髄(せきずい)半側切断による同側運動麻痺(まひ)と反対側知覚麻痺の出現)」(1849)、「交感神経切断による血管の麻痺と拡張」(1852)、「副腎(ふくじん)摘出による動物の機能脱落、死亡」(1856)、「イエウサギ睾丸(こうがん)抽出液の注射による全身の作業能力亢進(こうしん)」(1889)などがある。
[古川 明]
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ブラウン・セカール
Charles Édouard Brown-Séquard
生没年:1817-94
フランスの生理学者。イギリス領モーリシャス島で,アメリカ人ブラウンCharles Edward Brownを父とし,フランス人セカールCharlotte Séquardを母として生まれた。1838年パリへ出て医学を修め,40年学位を得た。それ以後,実地診療のかたわら神経系の病気を治療する必要から各種の電気生理学に関する実験を試み成果を収め,またブラウン・セカール症候群を記載した。そして78年C.ベルナールの後任としてコレージュ・ド・フランスの教授となる。また,その間彼が試みた副腎摘出実験や睾丸エキス注射などは,内分泌学および臓器療法の先駆をなすものとして注目される。
執筆者:秋元 寿恵夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ブラウン=セカール
Brown-Séquard, Charles Édouard
[生]1817.4.8. モーリシャス,ポートルイス
[没]1894.4.2. ソー
フランスの生理学者。内分泌学創始者の一人。 1846年にパリ大学卒業。 63~68年ハーバード大学の神経生理学および病理学教授。 69~72年パリ大学病理学教授。 78~94年 C.ベルナールの跡を継いでコレージュ・ド・フランスの実験医学の教授。脊髄や内分泌腺の研究ですぐれた業績をあげた。骨の変形,多発骨折,関節強直,筋肉萎縮などを特徴とする疾患はブラウン=セカール病,脊髄の半側の病変により身体の同側に運動麻痺,他側に感覚麻痺が起る状態はブラウン=セカール麻痺と呼ばれている。また,副腎が生命に必須の器官であることを動物実験で示し,精巣の抽出物が若返りに役立つことを示唆した。
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世界大百科事典(旧版)内のブラウン・セカールの言及
【ブラウン・セカール症候群】より
…脊髄の半側が障害されたとき,特有のパターンの知覚異常と運動麻痺を生ずるものをいう。病名は動物の脊髄半側切断に関するブラウン・セカールの研究にちなんでつけられた。この症候群では病変のあるレベル以下において,病変と同側では運動麻痺,深部知覚障害および一部の触覚障害が起こり,反対側では温度覚,痛覚の障害と軽い触覚障害が生ずる。脊髄内には,知覚を伝える神経繊維が脊髄後根から入って上行し,運動をつかさどる神経繊維(この神経路を錐体路という)が下行している。…
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