改訂新版 世界大百科事典 「プルデンティウス」の意味・わかりやすい解説
プルデンティウス
Aurelius Prudentius Clemens
生没年:348-405以後
最大のキリスト教ラテン詩人。スペインのおそらくはカエサルアウグスタ(現,サラゴサ)に生まれ,修辞学と法廷弁論を修めたのち官界に入り,高位を得る。のち引退して詩作に没頭し,405年詩歌集を刊行。収録作品は,抒情詩体の12編の賛美歌から成る《カテメリノン(日々の歌)》,三位一体とキリストの本質に関する教訓詩《アポテオシス(キリストの神性)》,教訓詩《ハマルティゲニア(原罪の起源)》,人間の魂をめぐる悪徳と美徳の抗争を描く寓意教訓詩《プシュコマキア(魂の闘い)》《シンマクス駁論(ばくろん)》2巻,抒情詩体で書かれた《ペリステファノン(殉教詩)》で,最後に旧・新約聖書から24ずつとった場面を主題にした48編の四行詩から成る《ディトカエオン》が補足されている。プルデンティウスは異教時代のラテン詩に造詣が深く,伝統的な古典詩の形態とキリスト教という新しい宗教の思想・精神とをみごとに結合させ,その作品は中世に広く読まれて詩作や美術に大きな影響を与えた。また彼は《シンマクス駁論》(403)においては,当時なおローマ人に強いアピール力をもっていたシンマクスのウィクトリア女神祭壇復帰請願演説(384)に反論して,〈ローマの平和〉の現出とキリスト降臨の同時性に示されるローマ帝国の摂理的使命をうたった。そして真の神信仰へと悔い改めたローマは今やペテロとパウロに護られた聖都として永遠の存在であると説き,伝統的な〈永遠のローマ〉理念(ローマ理念)とキリスト教とを結合させている。
執筆者:後藤 篤子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報