改訂新版 世界大百科事典 「プレーベ」の意味・わかりやすい解説
プレーベ
Vyacheslav Konstantinovich Pleve
生没年:1846-1904
帝政ロシアの右翼内務官僚。反動的なことで知られる。警察局長(1881-84),内務次官(1884-94)を経た後,1902年4月から内相。内相就任後すぐハリコフ,ポルタワ両県の農民蜂起をきびしく弾圧し,また,03年のキシニョフでのユダヤ人ポグロム(虐殺)にもその責任があった。20世紀に入って高揚していた民衆運動に徹底した弾圧手段でのぞみ,他方,民衆の関心をそらせるために〈ちょっとした勝ち戦〉が必要だとして極東での日本との対立を推進した。04年7月28日,弾圧の責任者ということでエス・エル党のソゾノフにペテルブルグの街頭で暗殺された。彼の死は,いつもは暗殺に反対している人々にも歓迎されたといわれる。プレーベに体現された徹底的な弾圧策では04年の日露戦争開戦後の困難な状況を乗り切れないとみた政府は,一転して内相の後任に穏健派のスビャトポルク・ミルスキーをすえた。
執筆者:広瀬 健夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報