ヘンリー1世(読み)ヘンリーいっせい(その他表記)Henry I

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘンリー1世」の意味・わかりやすい解説

ヘンリー1世
ヘンリーいっせい
Henry I

[生]1069. ヨークシャーセルビー
[没]1135.12.1. ノルマンディー,リヨンラフォレ
イギリス,ノルマン朝のイングランド王 (在位 1100~35) 。征服王ウィリアム1世末子長兄はノルマンディー公ロベール,次兄のイングランド王ウィリアム2世を継いで即位。「自由の憲章」を発布,前王時代の政治の非を率直に認め,教会には自由を,貴族には王の封建秩序の遵守を,民衆には罰金の軽減と平和の確保などを約束した。 1101年フランドル伯ロベール2世と同盟してノルマンディーを攻略,06年兄ロベールを捕虜とし,その死 (34) まで投獄,公国を併合した。大陸領土の領有をめぐりフランス王ルイ6世と長く対立したが,娘マティルダとアンジュー伯ジョフロア・プランタジネットとの結婚によってアンジュー伯との長い敵対関係に終止符を打った。国内では国王の巡回裁判などの司法制度の充実,財政組織の確立,王政庁の整備に努め,教会政策としては,司教や修道院長の任命に関する国王の影響力の拡大をはかった。

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改訂新版 世界大百科事典 「ヘンリー1世」の意味・わかりやすい解説

ヘンリー[1世]
Henry Ⅰ
生没年:1068-1135

ノルマン朝第3代のイングランド王。在位1100-35年。ウィリアム1世の第4子。次兄ウィリアム2世をついで即位し,〈戴冠憲章〉を発布して諸侯権利を保障した。長兄ノルマンディー公ロベールを破ってノルマンディーを併合,カンタベリー大司教アンセルムスと和して教会と協調した。巡回裁判官制を設けるなど種々の司法上の改革を行って国制を整え,治安を維持して王権を発展させ,〈正義獅子〉と呼ばれた。
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世界大百科事典(旧版)内のヘンリー1世の言及

【ノルマン朝】より

…次のウィリアム2世(在位1087‐1100)は,長兄のノルマンディー公ロベールと紛争を引き起こし,カンタベリー大司教アンセルムスと対立するなど失政が多かったため,貴族の不満が高まり,狩猟中無名の者の矢に当たって横死した。ついで即位した弟のヘンリー1世(在位1100‐35)は,即位にあたって戴冠憲章を発布して貴族の不満を和らげ,ロベールを破ってノルマンディー公領を併せ,種々の改革を行って国内はよく治まった。しかし彼の息子ウィリアムが1120年不慮の海難で水死したため,ヘンリー1世の死後王位をめぐる闘争が生じた。…

※「ヘンリー1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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