ベゾブラーゾフ(英語表記)Bezobrazov, Aleksandr Mikhailovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベゾブラーゾフ」の意味・わかりやすい解説

ベゾブラーゾフ
Bezobrazov, Aleksandr Mikhailovich

[生]1855
[没]?
ロシアの政治家。 1903年から皇帝の尚書。 1898年極東への進出を目的として「ベゾブラーゾフの徒党」をつくり,ニコライ2世の外交政策に大きな影響を与えた。反対派の S.Y.ウィッテ蔵相の職から退けることには成功したが,国内の革命的不満をそらす目的で極端な極東政策を推進日露戦争を引起したが,敗戦に終ってからは勢力を失った。革命後亡命した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベゾブラーゾフ」の意味・わかりやすい解説

ベゾブラーゾフ
べぞぶらーぞふ
Александр Михайлович Безобразов/Aleksandr Mihaylovich Bezobrazov
(1855―1931)

ロシアの政治家。タンボフ県貴族の子として生まれる。近衛(このえ)士官となり、のち退役して政界に乗り出した。ニコライ2世に認められ、1898~1904年「ベゾブラーゾフの徒党」を形成して、侵略的な極東政策を推進した。3年5月官房長官に任ぜられるや、日露開戦に慎重な蔵相ウィッテや外相ラムズドルフを抑えて、南満州(現中国東北部)と朝鮮半島への侵略を主張し、日露戦争の原因の一つをつくった。

[外川継男]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ベゾブラーゾフ」の解説

ベゾブラーゾフ
Aleksandr Mikhailovich Bezobrazov

1855~1931

ロシアの退役騎兵大尉。皇帝の知遇を得て,1898年北朝鮮林業利権の調査開始。1901年には鴨緑江岸の木材資源開発のために東アジア産業会社を設立した。皇帝にますます近づき03年5月参議官に任ぜられ,日本に譲歩しない積極的な極東政策を主張した。

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