ベラフォンテ(読み)べらふぉんて(その他表記)Harry Belafonte

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベラフォンテ」の意味・わかりやすい解説

ベラフォンテ
べらふぉんて
Harry Belafonte
(1927―2023)

アメリカのフォーク、ポピュラー歌手、映画俳優ニューヨーク生まれ。本名ハロルド・ジョージ・ベラフォンテHarold George Belafonte。父は西インド諸島のマルティニーク島、母はジャマイカ島の出身。9歳から13歳までは母と弟とともにジャマイカキングストンで生活する。第二次世界大戦中の1944年に志願してアメリカ海軍に入隊。除隊後の1945年末に俳優を志して演劇研究所に通う。歌う役を演じたのをきっかけに1949年歌手としてデビューした。1952年にRCAレコードと契約、同年末『スカーレット・リボン』Scarlet Ribbonsがヒット。1953年に映画『輝く路』、ブロードウェーのショー『ジョン・マレイ・アンダーソンアルマナック』に出演。1956年にアルバム『ベラフォンテ』『カリプソ』が大ヒットとなる。1957年『バナナ・ボート(デイ・オー)』Banana Boat (Day-O)がミリオンセラーを記録、世界的なカリプソ・ブームを巻き起こす。1959年にカーネギー・ホールでのコンサートを成功させ高い名声を得た。

 1960年代以降は黒人の地位向上に努力し、1963年のワシントン大行進にも参加。グラミー賞はアルバム『スウィング・ダット・ハンマーSwing Dat Hammerで1960年度最優秀フォーク賞、南アフリカ人歌手ミリアム・マケバMiriam Makeba(1932―2008)との共作『アン・イブニング・ウィズ・ベラフォンテ/マケバ』An Evening with Belafonte/Makebaで1965年度最優秀フォーク録音賞を受賞している。1985年にアフリカ飢餓救済チャリティー「USA・フォー・アフリカ」結成を提唱し『ウィ・アー・ザ・ワールド』We are the Worldを録音。出演映画は『カルメン・ジョーンズ』(1954)、『拳銃(けんじゅう)の報酬』(1959)、『アップタウン・サタデイ・ナイト』(1974)、『カンザス・シティ』(1996)ほか。

[青木 啓]

『Genia Fogelson:Harry Belafonte;Singer and Actor(1999, Melrose Square Publishing Company)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベラフォンテ」の意味・わかりやすい解説

ベラフォンテ
Belafonte, Harry

[生]1927.3.1. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2023.4.25. ニューヨーク,ニューヨーク
ハリー・ベラフォンテ。アメリカ合衆国の歌手,俳優,プロデューサー。1950年代に「カリプソ」として知られるカリブ地域の民族音楽を広めたことで知られる。また,公民権運動をはじめさまざまな社会活動にも積極的に参加した。
ニューヨークのハーレム地区で生まれたが,1935~40年に母の故郷であるジャマイカで過ごす。高校中退後,1940年代半ばにアメリカ海軍に入隊,その後ニューヨークに戻って歌手となった。「デイ・オー」Day-Oの出だしで知られる『バナナ・ボート』Banana Boat Songや『さらばジャマイカ』Jamaica Farewellなどがヒットし,カリプソブームを巻き起こした。俳優としては,ブロードウェーのミュージカル "John Murray Anderson's Almanac"(1953~54)などに出演,同じ頃 "Bright Road"で映画デビューも果たした。主役の一人を務めたミュージカル映画『カルメン』Carmen Jones(1954)で成功を収め,以後『日のあたる島』Island in the Sun(1957),『拳銃の報酬』Odds Against Tomorrow(1959)に出演する。1960年代にいったん俳優業を休止し,アフリカ系アメリカ人初のテレビプロデューサーとして活躍した。映画『さまよえる天使』Angel Levine(1970)で俳優に復帰,『ザ・プレイヤー』The Player(1992),『ブラック・クランズマン』BlacKkKlansman(2018)などに出演した。
トニー賞,グラミー賞,エミー賞など受賞多数,2014年にはジーン・ハーショルト友愛賞を受賞した。2022年ロックの殿堂入り。

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百科事典マイペディア 「ベラフォンテ」の意味・わかりやすい解説

ベラフォンテ

米国の黒人歌手,映画俳優。ニューヨークに生まれ,少年時代の4年ほど,母の故郷ジャマイカで過ごした。ニューヨークに戻ってハイ・スクールを卒業,俳優学校に学び,1949年ジャズクラブの歌手としてデビュー。しかしジャズ歌手を断念して民謡を研究し,民謡歌手として1951年再デビュー,1956年に出した3枚目のLP《カリプソ》の中の《デイ・オー(バナナ・ボート・ソング)》が大ヒットした。1954年からは映画にも出演し,カリプソを全編に用いた《陽のあたる島》(1957年)や,主演だけでなく製作も手がけた《拳銃の報酬》(1959年)などの作品がある。1959年のカーネギー・ホールでのコンサートは実況録音LPとなり人気を呼んだ。また黒人や他の少数グループが白人と同等の権利を保障されるべきだとする公民権運動のためにも尽くし,1985年にはアフリカ難民救済のチャリティ・レコード《ウイ・アー・ザ・ワールド》の企画・発起人として活躍した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ベラフォンテ」の意味・わかりやすい解説

ベラフォンテ
Harry Belafonte
生没年:1927-

アメリカの黒人歌手,俳優。ニューヨーク生れであるが,少年時代に4年ほど母親の故郷であるジャマイカで過ごした。演劇研究生,ジャズ・クラブ歌手を経て,1951年に民謡歌手としてデビュー,56年に出した3枚目のLP《カリプソCalypso》とその中の1曲《デイ・オーDay O》が大ヒットした。映画には54年から出演し,《拳銃の報酬Odds Against Tomorrow》(1959)では主演だけでなく製作をも手がけた。カーネギー・ホールでの実況録音LP(1959,60年)はステージ・エンタテイナーとしての彼の力をフルに発揮したもので,日本での評価もきわめて高く,黒人の音楽を普及するのに大いに貢献した。
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