ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペティオン」の意味・わかりやすい解説
ペティオン
Pétion, Alexandre Sabès
[没]1818.3.29. ポルトープランス
ハイチ独立運動の指導者。富裕なフランス系植民者の父をもつムラットで,フランス植民地軍に入隊。次いで F.トゥサン・ルーベルチュールの革命軍に参加。革命失敗後,一時フランスに亡命していたが,1802年フランス軍とともにハイチに戻った。その後ハイチ独立運動の指導者となって活躍。 06年 J.デサリーヌに対する反乱指導者となり,デサリーヌ死後,H.クリストフが北部ハイチを支配すると,南部を制圧し,07年にハイチ共和国 (南部) を樹立。大統領となり,11年に再選,16年に終身大統領となった。また亡命中の S.ボリバルを保護,援助した。
ペティオン
Pétion de Villeneuve, Jérôme
[没]1794. ジロンド,サンテミリオン
フランスの政治家,弁護士。 1789年全国三部会の第三身分代表に選ばれ,共和主義者としてジャコバン・クラブに入った。 91年6月逃亡した国王ルイ 16世をバレンヌからパリに召還する任務を帯び,同年 11月パリ市長となった。 92年9月国民公会の初代議長となったが,国王裁判のときの曖昧な態度が疑惑を呼び,93年6月2日の山岳派の革命によって追放され,翌年春自殺した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報