ホイットニーコートニー(その他表記)Whitney Courtney

20世紀日本人名事典 「ホイットニーコートニー」の解説

ホイットニー コートニー
Whitney Courtney

07の軍人 元・GHQ民政局長。



国籍
アメリカ

生年
1897年5月20日

没年
1969年3月21日

出生地
ワシントンD.C.

学歴〔年〕
ジョージ・ワシントン大学

学位〔年〕
法学博士(ジョージ・ワシントン大学)

経歴
第1次大戦に参戦し、1918年陸軍少尉。ワシントンD.C.の陸軍航空部隊勤務のかたわらジョージ・ワシントン大学で学位取得。フィリピン勤務を経て、’26年ワシントンの航空部隊司令官付広報担当将校。’27年軍務を退き弁護士を開業、以後’40年まで主にフィリピンで米系企業や投資家を顧客とした。この間ダグラス・マッカーサーと親密になり、その膨大な資産の運用をまかされる。’40年8月少佐として現役復帰。日米開戦後オーストラリアに逃れたマッカーサーのスタッフの一員となり、フィリピン群島内の反日ゲリラ活動を指揮。’43年米陸軍太平洋軍民政部長、’44年10月マッカーサーと共にレイテ島上陸、’45年1月准将。同年8月連合軍最高司令官マッカーサーに随伴して厚木基地進駐、12月GHQ(連合軍最高司令部)民政局長に就任。思想的には保守立場ながら日本の民主改革に力を注ぎ、新憲法制定では改正作業の総指揮をとった。マッカーサーの側近第1号をもって任じ、文書も多く代筆、総司令官代弁者として日本政府に対する通告などを行なった。GHQ内で参謀第2部(G2)ウィロビー少将との対立確執は有名。’50年少将。’51年マッカーサー解任とともに退役して共に帰国。以後マッカーサーの死までスポークスマンを務めた。著書に「マッカーサー―歴史とのランデブー」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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