日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホッジス」の意味・わかりやすい解説
ホッジス
ほっじす
Gilbert Raymond Hodges
(1924―1972)
アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のブルックリン・ドジャース(1958年からロサンゼルス・ドジャース)、ニューヨーク・メッツで一塁手としてプレー。主砲として1950年代のドジャース黄金期を支えた強打者である。1963年からは第2ワシントン・セネタース(現テキサス・レンジャーズ)、メッツで監督も務めた。
4月4日、インディアナ州プリンストンで生まれる。1943年ドジャースに入団し、三塁手として1試合のみ出場したが、その後、46年まで兵役に就いた。復帰後の1947年は捕手として24試合に出場、翌48年は捕手のロイ・キャンパネラRoy Campanella(1921―93)がデビューしたため、一塁へコンバートされて打撃に専念できるようになった。1949年から7年連続して打点100以上をマーク。ホームランも11年連続して20本以上打った。1961年のシーズンオフに、翌年から誕生する新球団への選手供出を行うエキスパンション・ドラフトが行われ、メッツから指名されて移籍。1963年の序盤で現役を引退、同年中には第2セネタースの監督に就任、67年まで指揮をとった。1968年からはメッツの監督に就任した。翌69年には、圧倒的に不利といわれながら強豪ボルティモア・オリオールズを降してワールド・シリーズを制し、チームは「ミラクル・メッツ」とよばれた。1971年のシーズン終了後に解任された。
選手としての実働18年間の通算成績は、出場試合2071、安打1921、打率2割7分3厘、本塁打370、打点1274。獲得したタイトルは、ゴールドグラブ賞3回。監督としての通算成績(9年)は、660勝753敗、リーグ優勝1回、ワールド・シリーズ優勝1回。
[山下 健]
『ギル・ホッジス、三原脩著『ギル・ホッジスの戦法』(1978・ベースボール・マガジン社)』