ホブソン(英語表記)John Atkinson Hobson

デジタル大辞泉 「ホブソン」の意味・読み・例文・類語

ホブソン(John Atkinson Hobson)

[1858~1940]英国の経済学者。富の分配の不平等によって過少消費・過剰貯蓄がもたらされると説き、資本主義を批判。また、帝国主義の分析や景気変動理論に貢献した。著「帝国主義論」「近代資本主義発達史論」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「ホブソン」の意味・わかりやすい解説

ホブソン
John Atkinson Hobson
生没年:1858-1940

イギリスの経済学者。イングランドダービーで自由主義的な新聞経営者の家に生まれ,1880年から87年までオックスフォード大学で主として古典学を学び,卒業後著述活動の傍ら経済学の研究に励んだ。著書は大小50種以上にのぼるが,20世紀の初頭,折しもイギリスで植民地領有熱がさかんであったころに著した《帝国主義論Imperialism:A Study》(1902,4版1948)は,世界に広く知られている。本書は彼が《マンチェスター・ガーディアン》の特派員として99年南アフリカにおもむき,南ア戦争を目撃するなどした体験に刺激されて書かれた。ホブソンの経済学説で注目されるのは過少消費説と過剰貯蓄説で,《帝国主義論》もこの学説に依拠している。すなわち彼は帝国主義の原因として,所得分配の不平等に起因する過度の貯蓄,そこから生じる過剰投資・過剰生産,あるいは余剰資本の存在を挙げ,金融業者その他投資に関連ある勢力が帝国主義を助長する経済的諸勢力の中枢をなすと説いた。彼の帝国主義批判の立場は一口でいえばフェビアン社会主義であり,その過少消費説を中心とする学説は,正統派経済学に対して批判的,異端的であったため,当時のイギリス経済学界にいれられず,みずからも〈異端の経済学者〉として,生涯を著述家として過ごした。しかし死後,その《帝国主義論》はレーニンの《帝国主義論》に批判的に摂取され,また過少消費説はケインズに高く評価された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホブソン」の意味・わかりやすい解説

ホブソン(John Atkinson Hobson)
ほぶそん
John Atkinson Hobson
(1858―1940)

イギリスの社会経済学者。イングランドのダービー市に生まれる。1876年から80年までオックスフォード大学で古典学を学び、卒業後経済学の研究を始めた。処女作は実業家マムマリーとの共著『産業の生理学』The Physiology of Industry(1889)である。その後の著作活動は活発で、経済学のほか、政治学、社会学、倫理学などに及び、著書は50点を超えている。彼は19世紀後半のビクトリア中期から20世紀の第二次世界大戦までのイギリスの繁栄と不況のなかで、失業、貧困、所得格差、自由主義と帝国主義、戦争、社会統制といった激動の時代にしたたかに挑戦したユニークな「社会改革」者であった。彼の学説の基本は、資本主義の下での富の分配の不平等によって消費が円滑にいかず、過度の貯蓄、過度の投資をもたらし、その結果、生産過剰になるというのである。主著は『帝国主義論』Imperialism : A Study(1902)であり、ここでも、過剰貯蓄と過少消費という富の不公平な分配を批判し、金融資本家を核とする資本家的利益集団が帝国主義の重要な経済的要素をなすものであると説いた。

[清水嘉治]

『矢内原忠雄訳『帝国主義論』上下(岩波文庫)』『高橋哲雄訳『異端の経済学者の告白―ホブスン自伝』(1983・新評論)』『清水嘉治著『改革の経済思想―J・A・ホブスン研究序説』(1998・白桃書房)』


ホブソン(Benjamin Hobson)
ほぶそん
Benjamin Hobson
(1816―1873)

イギリスの宣教医。ウェルフォード生まれ。ロンドンユニバーシティ・カレッジで医学を学び、のちロンドン伝道会に入会。1839年同会の宣教医として中国のマカオに派遣され、同地の病院に勤務。その後、香港(ホンコン)、広東(カントン)、上海(シャンハイ)などの各地を巡り、病院を開設し活発な医療活動を行った。1858年帰国。帰国前の1851年、解剖学・生理学に関する要点を中国人助手の協力を得て漢文で『全体新論』として著した。この書は中国でも読まれたが、1857年(安政4)には日本でも翻刻出版された。ホブソンはその後も医書、キリスト教関係書十数点を公表した。

[大鳥蘭三郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホブソン」の意味・わかりやすい解説

ホブソン
Hobson, John Atkinson

[生]1858.7.6. ダービーシャー,ダービー
[没]1940.4.1. ロンドン,ハンプステッド
イギリスの経済学者。 1880~87年オックスフォード大学に学ぶ。その生涯に 50冊以上もの著書を公刊し,多くの雑誌に論文を寄稿したが,特に F.Y.エッジワースの批判を浴び,大学で正式な地位につくことはなかった。 A.F.ママリィと共著の処女作『産業の生理学』 The Physiology of Industry (1889) 以来彼が展開した過剰貯蓄と過少消費の理論は,後年これを評価した J.M.ケインズの有効需要論の先駆ともされる。また,ボーア戦争をつぶさに観察し,過剰貯蓄と過少消費として現れる富の不公正な分配が帝国主義の原因であるとした主著『帝国主義論』 Imperialism:A Study (1902) はレーニンの先駆と目されることもある。自由貿易支持の立場から第1次世界大戦後自由党を脱退し,労働党に近づき,同党の 1925年の賃金問題に関する政綱起草に大きな役割を演じた。

ホブソン
Hobson, Benjamin

[生]1816.1.2. ウェルフォード
[没]1873.2.16. ロンドン
イギリスの医療宣教師。中国名,合信。ロンドン大学で医学を修得。 1839年ロンドン伝道会医療宣教師となって中国に渡り,39~43年同会澳門 (マカオ) 病院に勤務,次いでホンコンに移り病院を開いた。 45年帰国したが,47年ホンコンに帰任。 48年からは広東で医療伝道に従事。アロー号事件の際には戦火をホンコンに避けた。 57年上海に出て 59年まで病院で働き,同年帰国。漢文をよくし,著書に『全体新論』 (1851) ,『博物新編』 (55) ,『西医略論』 (57) ,『婦嬰新説』『内科新説』 (58) などがあり,その多くが幕末から明治初年にかけて日本で訓点翻刻されて,広く読まれた。『全体新論』には造化主,霊魂論などキリスト教思想が述べられているため,安政4 (57) 年に出た翻刻書では一部削除されている。

ホブソン
Hobson, William

[生]?
[没]1842
イギリスの海軍軍人。ニュージーランド初代総督。 1838年イギリス政府より,ニュージーランドへ派遣され,植民者の無法とフランスの進出とを押え,またマオリ族の各首長たちと交渉を進め,40年ワイタンギ条約を締結。この条約により,イギリスはニュージーランドの領有を宣言した。当初ニュージーランドはオーストラリアのニューサウスウェールズ植民地の一部とされたが,42年イギリスの単独の植民地となり,ホブソンが初代総督となった。

ホブソン
Hobson, Sir Harold

[生]1904.8.4. ヨークシャー,ソープヘズリー
[没]1992.3.12.
イギリスの劇評家。 1944年から 76年まで『サンデー・タイムズ』紙に劇評を書き,主著に『劇場』 Theatre (2巻,1948) ,『深夜の答申』 Verdict at Midnight (52) ,『現代の演劇』 The Theatre Now (53) などがある。 60年レジオン・ドヌール勲章,71年3級勲爵士の称号を受けた。

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百科事典マイペディア 「ホブソン」の意味・わかりやすい解説

ホブソン

英国の改良主義的経済学者,ジャーナリスト。主著《帝国主義論》(1902年)で,失業や恐慌は所得の不平等な分配によるとし,帝国主義は国内市場での過度の蓄積と不十分な消費(過少消費)に基因するから,所得を平等化し国内市場を拡大すれば帝国主義を廃止できると論じ,後レーニン,ケインズに高く評価された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ホブソン」の解説

ホブソン
John Atkinson Hobson

1858~1940

イギリスの経済学者。過少消費説を唱え,フェビアン協会に属した。南アフリカ戦争『帝国主義論』(1902年)を著し,帝国主義に最初の理論的な批判を行った。

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367日誕生日大事典 「ホブソン」の解説

ホブソン

生年月日:1857年7月6日
イギリスの改良主義的経済学者
1940年没

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世界大百科事典(旧版)内のホブソンの言及

【帝国主義】より

…この政治的環境から二つの帝国主義批判が生まれた。その第1は母国イギリスの政治経済に焦点をあてたもので,J.A.ホブソンによるものである。彼は雑誌の特派員として南アフリカを訪問し,その戦争の背後には経済的動機,とりわけ大金融業者の暗躍があるとの印象を受けた。…

【ボーア戦争】より

…しかし02年イギリス側が勝ち,フェレーニヒング和平条約によって,トランスバールとオレンジ自由国はイギリス直轄植民地となった。なお,この戦争に特派員として派遣されたJ.A.ホブソンはその見聞に基づいて《帝国主義論》(1902)を著した。【林 晃史】。…

※「ホブソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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