マオリ族(読み)マオリゾク(英語表記)Maori

翻訳|Maori

デジタル大辞泉 「マオリ族」の意味・読み・例文・類語

マオリ‐ぞく【マオリ族】

Maoriニュージーランド先住民ポリネシア系に属し、ポリネシア語系のマオリ語を用いる。他島からの移住民とされ、定住後は農業を主とするようになった。主に北島居住

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精選版 日本国語大辞典 「マオリ族」の意味・読み・例文・類語

マオリ‐ぞく【マオリ族】

  1. 〘 名詞 〙 ( マオリはMaori ) ニュージーランドの先住民。ポリネシアのクック諸島ソシエテ諸島から移住したといわれ、その大移動は一四世紀という。身体形質、言語はポリネシア系。

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改訂新版 世界大百科事典 「マオリ族」の意味・わかりやすい解説

マオリ族 (マオリぞく)
Maori

ニュージーランドの原住民。形質的にも文化的にもポリネシア系に属する。考古学の成果からは,マオリ族の起源は一応クック諸島ないしソシエテ諸島と目されている。ニュージーランドには9~10世紀ころに住み始めているが,以後14世紀半ばまで主として採集狩猟を営んでいた。この後ニュージーランド北島ではそれまでほとんど行われていなかった農業がおもな生業となり,今日のマオリ文化に特徴的ならせん文様の美術様式が始まる。このころ数隻の大型カヌーにより大移住が敢行されたという伝説があり,この伝説が社会組織上重要な役割を果たしているが,考古学的にはこの時期を境とするような文化的断絶は認められない。熱帯ポリネシアから持ち込まれたタロイモ,ヤムイモ,サツマイモヒョウタンの4種の栽培植物のうち,最も島の温帯気候に適したサツマイモを主要作物として,この後多くの人々は北島で焼畑耕作を行い,周囲に柵をめぐらした要塞のような集落に住んでいた。社会は最初の移住者を祖先と仰ぐ人々の集団としての部族,土地所有の単位である亜部族,その下位の世帯に分節していたが,部族をこえた政治統合は達成されず,恒常的な戦闘状態にあった。一方,低温のためサツマイモに適さない南島では,少数の人々があいかわらず採集狩猟の移動生活をしていた。ヨーロッパとの接触当時は10万ないし15万人と推定される人口も,19世紀中葉からの植民地化により4万人近くに減少した。その後しだいに回復し,現在は約28万(1981)で総人口の9%を占める。とはいえその多くは混血である。

 今日のマオリ族は西欧文化への同化の成功例としてしばしば引合いに出されるが,同時にマオリ文化そのものの変容は著しい。都市生活者の増加,マオリ語人口の減少などから文化喪失の危険が訴えられ,文化保護が叫ばれている。一方,集会所を中心に伝統文化のある部分は多くのマオリ族の間で保持され伝承されている。またマオリ文化は多民族国家ニュージーランドを象徴するシンボルとしても価値をもっている。顔面に施される入墨は名高く,また緑石の石斧,武器,装身具,衣類としての亜麻布作製ポリネシア文化の中では異色のものである。
執筆者:

マオリ族の美術は,ポリネシアのなかでもとくに豊富である。親族の集会所などの建築やカヌーの彫刻装飾,神像や手斧などあらゆるものに施される厚浮彫は,その巧妙な木彫技術と豊かな曲線文様の装飾によって,マオリ彫刻の顕著な特色をなしている。渦巻(らせん)などの抽象文様は,点の列や線による浮文や刻文,あるいは透し彫によって表され,重量感ある神像の表現ときわだった対照を示す。彫刻の多くは記念物や装飾となるものであるが,礼拝の対象となる木彫の男性小像もみられる。マオリ彫刻の曲線文様に関しては,メラネシアにみられる曲線文様との直接的な関係が否定され,中国の東周の青銅彫刻に由来すると指摘されている。マオリ族の社会には今日なお伝統的な木彫作品が伝えられ,村落に飾られている。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マオリ族」の意味・わかりやすい解説

マオリ族
マオリぞく
Maori

ニュージーランドのポリネシア系先住民。初期の移住は 9世紀以前に行なわれたと考えられる。1350年頃に再びタヒチ方面より大移住があり,それとともにマオリ文化の開花をみた。伝統的社会組織の最大単位ワカ(部族連盟)は,伝承のうえで,14世紀に大船団を組んで来島した際に船を同じくした者の子孫により形成されている。社会的に機能する最大単位は,先祖を共有するイウ(部族)であるが,土地を共有するなど日常生活に最も重要なのは,その下位集団のハプウ(氏族)であった。砦を中心に村落を形成し,サツマイモ,ヤムイモ,タロイモ,ヒョウタンなどの掘棒耕作や森林採集などを生業としていた。マオリの彫刻技術は有名で,村の集会所は多くの神像や螺旋文様で飾られていた。最高神イオ,森林神タネ,海神タンガロアなどを信仰していたが,現在ではキリスト教化している。人口はニュージーランド総人口の約 15%を占め(2007),伝統文化を尊重するとともに,近代文化に巧みに適応した生活を送っている。(→ニュージーランド史

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世界大百科事典(旧版)内のマオリ族の言及

【挨拶】より

…近距離からの場合,〈接触〉を伴うものと伴わないものとに分けられる。握手や抱擁やキス,あるいはニュージーランドのマオリ族がするような鼻をこすりあわせる動作などは,接触の挨拶の典型例である。ビルマ(現,ミャンマー)やマレーシアやエスキモーには鼻をよせて相手のにおいをかぐ挨拶があるが,それらは接触と非接触の中間形態といえよう。…

【オセアニア】より

…中部ポリネシアではタンガロア神により天地がつくられる。ニュージーランドのマオリ族では,天と地はランギとパパと呼ばれる生き物であると考えられている。ランギとパパはしっかりと抱きあっていたため,その子どもたちは2人の間の暗くて狭い空間を自由に移動することも,見ることもできなかった。…

【棺】より

… ポリネシアのサモア諸島の棺は舟であり,人が死ぬと芳香性の油で遺体をすっかりふき,階級によって異なるが樹皮布(タパ)あるいは筵(ござ)で包み,棺とされる舟にいれて,その全体を樹皮布あるいは筵でさらに上から包んで,ひもで締めて土葬する。ニュージーランドのマオリ族の首長用木棺は彫刻した鳥の形につくられ,羽翼があり,水かき足をそなえ,かつ人面もみられる。
【アメリカ大陸】
 北アメリカの平原インディアンは死体をただバイソン皮造りの衣装にきつくつつみこむだけであり,他の諸族は最高に着飾らせた死体を置く〈死者の家〉というのを建造するにとどまるが,カヌーを棺として葬る習俗はカナダ東部の沿海地方の辺地に住む人々のあいだに見られる。…

【千年王国】より

…ヨーロッパ文明との出会いによって伝統文化が崩れ,そのうえに植民地支配によって政治的・経済的・社会的に抑圧された状況のもとで,予言者があらわれ,千年王国運動が組織されている。たとえば,ニュージーランドの先住民族であるマオリ族のあいだでも,いくつかの千年王国運動が起こっている。ニュージーランドは1840年にイギリスの植民地となったが,マオリ族が植民地化に強く反対し,戦闘的な抵抗をくりひろげた。…

【ニュージーランド】より

…【谷内 達】
【住民】
 全人口の75%がイギリス人を主とするヨーロッパ系で占められる。ポリネシア系の先住民マオリ族は約40万人である。マオリは東ポリネシアの島(伝説ではハワイキ)からニュージーランドへ大航海をしてきて,シダの根やサツマイモや魚や鳥を食べ,木彫と歌舞と戦闘に秀でた石器時代の無文字民族だった。…

【武器】より

…また,刀鍛冶としての専門の職人がいた。ニュージーランドのマオリ族では,槍,杖,短剣,棍棒,ナイフのほかに,投鉤(なげかぎ),投網が用いられた。槍には単純な棒状のものと,先をナイフ状にした短い槍,防柵のあいだから敵を突く4m前後の特殊な長槍があった。…

【マオリ戦争】より

…1860年から72年にかけてニュージーランド北島で,先住民マオリ族と入植者が戦った土地戦争。1840年締結のワイタンギ条約によってニュージーランドはイギリスの植民地となったが,植民地政府の土地政策は入植者とマオリ双方に失望をもたらした。…

【ワイタンギ条約】より

…1840年2月6日,ニュージーランド北島のワイタンギWaitangiでイギリスの代表ホブソン大佐William Hobson(1793‐1842)と50余名のマオリ族首長が調印した条約。これによりニュージーランドはイギリスの植民地となった。…

※「マオリ族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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