イギリスの社会主義組織。〈新生活フェローシップ〉のユートピア主義に不満なポドモアFrank Podmore,ピーズEdward Reynolds Peaseら数名の知識人により,1884年1月ロンドンで設立される。ローマの知将ファビウス(あだ名は〈遷延家〉)にちなんで名づけられた。G.B.ショーとシドニー・ウェッブの参加により,固有のフェビアン社会主義が確立される。協会が採択した《フェビアンの基礎》(1887)は,土地と産業資本の個人的・階級的所有から社会的所有への移行を目標に掲げ,社会主義的世論の普及によってこれを達成するものとした。ショーが編集した《フェビアン社会主義論文集》(1889)は,J.S.ミルやH.ジョージの,社会進歩の結果得られる不労所得としての地代(レント)概念を拡大して資本の利潤に適用し,〈経済レント〉論を展開して,生産手段の社会化によるレントの社会化を提唱した。マルクスの剰余価値概念をレントで置き換えたように,階級史観に代わって社会進化論をとり,民主的,漸進的,平和的な社会の有機的変化を強調し,個人でなく集団を自然淘汰の基礎とみなし,共通の善のための自覚的調整・適応を説いた。
協会はサロン的な政策研究グループとして出発したが,不熟練労働者の新組合運動に触発されて北イングランドに地方支部を広げ,独立労働党の成立に寄与した。ウェッブと同夫人ビアトリスとは,組合が社会進歩のみかたであることを証明する理論と歴史とをまとめ,ナショナル・ミニマムの確立とその漸進的引上げ,それを超える〈機会のレント〉の正当化により,能率と民主管理とを結合する社会進歩の展望を提供した。
第1次大戦までフェビアンは,政治的には圧力団体として浸透政策をとり,ロンドン市議会に進歩党をつくり,保守党政府の教育法に協力し,自由帝国主義者の社会改良政策に共鳴して国民的能率の党を画策した。フェビアン執行部の多数派はボーア(南ア)戦争を支持し,列強の帝国主義的支配を能率的で賢明なものにすべきだと考えた。ビアトリス・ウェッブが彼女のまとめた救貧法調査委員会《少数派報告》(1909)に従って貧困防止キャンペーンを始めたとき,支配勢力への浸透政策は終わった。
1912年入会したA.ヘンダーソンとシドニー・ウェッブとの協力が戦時中緊密となり,18年の純粋にフェビアン的な労働党新綱領《労働と新社会秩序》に結実し,名実ともにフェビアンは労働党のブレーンとしてこれと一体になった。〈漸進の不可避性〉を説くシドニー・ウェッブの1923年党年次大会議長演説で一体感が最高潮に達した。G.D.H.コールの組織した新フェビアン調査局が,39年,協会に合流してこれを補強した。40年代は帝国主義清算のためのフェビアン植民局の活躍が目だつ。R.H.S.クロスマン編集の《新フェビアン論文集》(1952)は不確実性の時代を反映し,このときまでに労働運動の偉大な前進の時代は終わろうとしていた。フェビアンは,そのような前進の時代の労働運動の有能な道先案内であった。
→労働党
執筆者:都築 忠七
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イギリスの社会主義団体。漸進的な戦術をとってポエニ戦争の勝利をものにしたローマの将軍ファビウス・マクシムスにその名称をとり,1884年設立。ウェッブ夫妻,B.ショーなどの知識人が主体であった。啓蒙活動に力を入れ,穏健な手段によって社会福祉国家の実現をめざした。1900年労働代表委員会に参加して,労働党の成立に寄与し,その理論的な支柱として貢献した。
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…革命によって社会体制を根本的に変革しようとする路線に対立して,資本主義社会の枠内で,議会活動や労働運動により,社会の弊害や矛盾を部分的に改良し,労働者の地位を改善しようとする思想,運動をいう。1820年代に全国的組織になったイギリスの労働運動は,労働条件の改善をめざし,選挙権の獲得をめざすなど,改良主義的傾向を示していたが,1884年に設立された〈フェビアン協会〉の主張したフェビアン社会主義も,改良主義的である。慎重に持久戦をおこない敵を撃破した古代ローマの名将ファビウスの名をとったことが示しているように,この社会主義は議会制民主主義のもとで漸進的に社会改良を進め,慎重に社会改革の準備を重ねるという路線をとる。…
…同4条は〈手と頭脳の生産者に勤労の全成果を確保〉するような〈生産手段の公有〉を宣言し,同時に地方支部を設けて一般党員の加入を制度化し,国民政党への展望を開いた。ウェッブの手になる政策綱領《労働と新社会秩序》も採用されたが,労働党の社会主義はフェビアニズム(フェビアン協会)とマルクス主義との妥協の産物だった。 24年自由党の協力を得て成立したマクドナルド労働党内閣は,対ソ借款に反対する保守勢力の圧力に敗れた。…
※「フェビアン協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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