ロシア連邦南西部,ボルガ川とドン川の間を結ぶ運河で1952年完成。長さ101km。うち45kmは川と貯水池を通り,残りは掘割として掘削したものである。ドン川の中流部が北西から南東に流下し,南西に反転して流れ去る地点,すなわち最もボルガ川に接近した地点に運河がつくられたものである。両河川の水位差は約40mあり,そのうえ両河川間にカラチ丘陵が高まるので,パナマ運河のような閘門(こうもん)と人造湖を構築し,しかも分水界の貯水池へはドン川側(西側)から大量の水をポンプで押し上げなければならない。ドン川側からその作動を説明すると,まずドン川の少し下流にダムをつくり,大きなツィムリャンスク湖を出現させ,その最東部の入江からカラチ丘陵を越す4段の閘門に船を通して,湖から44m高い分水界の人造湖に導く。この湖へはツィムリャンスク発電所から3ヵ所のポンプ・ステーションにより大量の水を揚水する。船はその分水界から9段の閘門を経て,標高にして88mを下り,ボルガ川本流に出る。そこはボルゴグラード市の都心から約25km下流のクラスノアルメイスク区である。
ボルガ・ドン運河はロシアのヨーロッパ部の内陸水路を結ぶシステムの一つとなり,他の運河などと合わせて大きな意味をもつ。第2次世界大戦前に完成した白海・バルト海運河,ボルガ・バルト水路,モスクワ運河などと合わせて,白海やバルト海がカスピ海,黒海と結ばれることになり,俗に〈モスクワは五つの海の港である〉といわれる。ボルガ・ドン運河の掘削された地点は,古くからこの河川の船荷の積替地点に当たっていたため,ツァリーツィン(現,ボルゴグラード)などの商業都市が繁栄してきた。運河の掘削は,まずロシア皇帝ピョートル1世により着工されたが完成を見ず,1952年完成の工事もソ連政府によって,1930年代後半に決定されながら,第2次世界大戦のために中断されていたものであった。
執筆者:渡辺 一夫
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ロシア連邦南部にある内陸運河。カスピ海に注ぐボルガ川とアゾフ海に注ぐドン川は、ボルゴグラード付近で直線距離で約50キロメートルにまで近づくため、この両川を結んで開削された。延長101キロメートル。ボルガ川に臨むクラスノアルメイスクより9か所の閘門(こうもん)によって88メートル登ったのち、4個の閘門によって44メートル下り、ドン川に臨むカラチ・ナ・ドヌーで巨大な人造湖ツィムリャンスコエ貯水池に入る。1948年に起工し、1952年に完成した。運河の水は灌漑(かんがい)用水、発電用水としても用いられ、総発電容量は16万キロワットに達する。この運河の可能性と重要性は、この地方がトルコ領であった16世紀にすでに論じられており、ピョートル大帝がトルコを駆逐してロシアの版図をアゾフ海にまで拡大したときも計画された事実がある。この運河の完成によって、黒海・アゾフ海とカスピ海が結ばれ、さらにボルガ・バルト水路によって、北方のバルト海との間の小型船交通が可能となった。ロシアの内陸水路網のなかでも、経済的にきわめて重要な水路である。
[青木栄一]
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…またルイビンスクには広大な人造湖がつくられ,非能率的なマリインスカヤ水路は近代的なボルガ・バルト海水路に改装された。第2次大戦後にはボルガ・ドン運河(1952)が開かれ,この両大河の航路はボルゴグラードの西方ではじめて連結された。 以上のような諸地域のほかに,世界の交通上きわめて重要なものにスエズ運河(1869)とパナマ運河(1914)とがある(国際運河)。…
※「ボルガドン運河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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