ミディ運河(読み)ミディウンガ(英語表記)Canal du Midi

デジタル大辞泉 「ミディ運河」の意味・読み・例文・類語

ミディ‐うんが【ミディ運河】

Canal du Midi》フランス南部、地中海の港湾都市セートガロンヌ川上流の都市ツールーズを結ぶ運河。全長240キロメートル。17世紀に徴税使ピエールポール=リケの発案により、国家事業として造営。19世紀に鉄道開通するまで、地中海と大西洋を結ぶ大量輸送を担った。1996年、世界遺産文化遺産)に登録された。

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改訂新版 世界大百科事典 「ミディ運河」の意味・わかりやすい解説

ミディ運河 (ミディうんが)
Canal du Midi

フランス南部のトゥールーズから地中海に隣接したトー潟のセートまでラングドック地方を横断する運河。全長241km。ラングドック運河,両洋運河ともいう。トゥールーズからは,かつてはガロンヌ川により,現在はガロンヌ川側設運河(1856完成)により,大西洋と連絡できる。早くから地元では運河開削を要望していたが,絶対王政期の17世紀に,王権は対外政策上スペイン経済の衰退を期待し,ジブラルタル海峡に代わり地中海と大西洋を結ぶ国際水路として運河開削の意義を認めた。とくに,財務総監コルベールは重商主義政策を推進するため交通輸送機関の拡充を急ぎ,ミディ運河の開削を許可した。開削工事は徴税請負などで財をなした地元の有力者,リケPierre-Paul Riquetへ委託した。工事は1666年に始まり81年に完成した。総工費約1525万リーブルは国費,ラングドック州費,リケの私財によった。リケはこの功績により貴族に列せられ,運河の所有権などを与えられた。運河は閘門(こうもん)式で,正確にはトゥールーズのバザクル堰堤の南約1kmの地点からセート港まで丘陵と平野を貫いていく。両岸には4万5000本の木が植えられた。運河用水はノアール山地のサン・フレオル貯水池から分水界のノルーズで給水される。水門は64ヵ所(100門),運河幅は最大で約19m,水深約2m。運河の完成はラングドック経済に大きな刺激となったものの,輸送貨物はもっぱら国内の,とくに内陸地方の貨物の輸送路として利用され,ついに王権の意図したジブラルタル海峡に代わる国際水路となることはなかった。運河の輸送量は19世紀に頂点に達したが,第1次世界大戦を境に低下し,さらに自動車貨物輸送の急成長に伴って低落傾向が続いている。輸送貨物は農作物,肥料,木材,建材などであるが,輸送にあたる川船の数の減少も著しい。しかし,通過船舶として,夏季には地中海に向かう個人のバカンス用ヨットが少なくない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミディ運河」の意味・わかりやすい解説

ミディ運河
みでぃうんが
Canal du Midi

フランス南部、地中海とガロンヌ川上流の都市トゥールーズを結ぶ内陸艀(はしけ)運河。地中海岸のマルセイランよりベジェル、ナルボンヌカルカソンヌなどを経て、トゥールーズでガロンヌ川並行運河(長さ約193キロメートル、閘門(こうもん)53か所)に結ばれている。長さ約240キロメートル。閘門101か所、途中で地中海斜面と大西洋斜面の分水嶺(ぶんすいれい)を越える。幅10メートル、深さ1.8メートル。17世紀後半のルイ14世時代に開通した歴史の古い運河である。ガロンヌ川の航行困難な区間を避けるため、1856年にガロンヌ川並行運河が開通してミディ運河と結ばれた。フランスの幹線系内陸水路の一つで、地中海と大西洋のジロンド河口、ビスケー湾を結ぶ水路の一部となっている。この運河は1996年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[青木栄一]

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世界遺産詳解 「ミディ運河」の解説

ミディうんが【ミディ運河】

1996年に登録されたフランスの世界遺産(文化遺産)。同国南部ミディ・ピレネーとラングドック・ルーションの2地方、オート・ガロンヌ、オード、エローの3県にまたがり、トゥールーズから地中海に面したトー湖まで、全長240kmにも及ぶ運河で、登録範囲は他に4本の支流と運河沿いの景観も含む。1661年に太陽王ルイ14世が、当時敵対関係にあった隣国スペインを通らずに大西洋から地中海まで船で航行できる運河の建設を命じたことにより、1666年から工事が始まった。建設を指揮したのは徴税吏として財をなしたピエール・ポール・リケで、彼の死後は息子が引き継ぎ1681年に完成した。工事は国家的事業として当時最高の土木技術をもって進められ、運河はトゥールーズから大西洋に注ぐガロンヌ川につながり、大西洋と地中海が結ばれることになった。19世紀末、ミディ鉄道が開通すると運河は交通路としての役割を終えたが、創造性の証、歴史的な価値などが評価され、世界遺産に登録された。◇英名はCanal du Midi

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百科事典マイペディア 「ミディ運河」の意味・わかりやすい解説

ミディ運河【ミディうんが】

フランス南部の地中海と大西洋を結んだ運河。ルイ14世の命によりジブラルタル海峡を通らない輸送ルートとして1681年に完成した。トゥールーズから地中海に面したトー湖にいたる全長240kmの運河で,19世紀に鉄道が開通するまで大西洋と地中海とを結ぶ重要な輸送ルートであった。この運河の開通で,ボルドーなどラングドック地方のワインは生産量を伸ばした。1996年世界文化遺産に登録。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミディ運河」の意味・わかりやすい解説

ミディ運河
ミディうんが
Canal du Midi

ラングドック運河とも呼ばれる。フランス南部,地中海沿岸のセット港とガロンヌ川を経てビスケー湾とを結ぶ運河。延長 241km,建設 1666~82年,閘門総数 65。これによって大西洋と地中海が直接結ばれることになり,ツールーズの商業的発展を促した。しかし 18世紀には運河に並行してミディ鉄道が敷設され,また運河幅の狭小なこともあって交通量が減少した。 1996年世界遺産の文化遺産に登録。

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世界大百科事典(旧版)内のミディ運河の言及

【運河】より

…積極的な運河建設は,ヨーロッパ大陸では,中央集権的な絶対王制のもとでの重商主義政策のなかで遂行された。フランスでは,コルベールのもとで1624年,ロアール川をセーヌ川に結びつけるブリアール運河が完成され,1666‐81年にはガロンヌ川を地中海に結びつける,65個の閘門をもつ241kmのミディ(ラングドック)運河が建設された。18世紀にも建設は活発に進められ,革命前にすでに延べ1000kmに達した。…

※「ミディ運河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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