ポンディシェリー(その他表記)Pondicherry

デジタル大辞泉 「ポンディシェリー」の意味・読み・例文・類語

ポンディシェリー(Pondicherry)

インド南東部の港湾都市チェンナイの南約150キロメートル、ベンガル湾に面する政府直轄地。1672年にフランス領となり、1954年にインドに併合。旧市街は城壁に囲まれ、フランス人居住区やキリスト教教会がある。また、宗教思想家オーロビンドがアーシュラム修道場)を開いた地としても知られる。ポンディチェリー。プドゥチェリー

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精選版 日本国語大辞典 「ポンディシェリー」の意味・読み・例文・類語

ポンディシェリー

  1. ( Pondicherry ) インド南部、チェンナイ(旧マドラス南方東海岸に臨む港湾都市。また、その周辺を含む中央政府直轄地区。旧フランス領インドの主都で、一九五四年インドに併合された。

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改訂新版 世界大百科事典 「ポンディシェリー」の意味・わかりやすい解説

ポンディシェリー
Pondicherry

インド南東部,コロマンデル海岸に面する旧フランス領インドの主都。地名は現地名のプドゥッチェリーPuduchcheriに由来し,〈新しい村〉の意。人口22万0749(2001),大都市域人口50万5715(2001)。チェンナイ(旧マドラス)の南南西約150kmにあり,タミル・ナードゥ州の南アルコット県に囲まれているが,連邦直轄領に属する。連邦直轄領としてのポンディシェリーは,コロマンデル海岸では同市のほか,南方約70kmのカーベーリ河口部のカーライカールKaraikal,アーンドラ・プラデーシュ州内東端部にあるヤーナムYanam,またマラバル海岸ではケーララ州内北部のマーヒーMaheの計四つの飛地状の旧フランス領港市からなり,合わせて面積480km2,人口81万(1991)となっている。

 市はコロマンデル海岸沿いに延びる砂丘上にあり,その南には潟湖をもつ。南方約3kmのアリカメドゥはこの潟湖の周辺にあり,前1~後2世紀にローマ帝国と南インドとの交易拠点として栄え,ローマ貨幣などが出土している。1664年にフランスは東インド会社を再発足させ,インドへの進出を図った。73年同会社のフランソアマルタンがここを取得し,83年には恒久的な居留地の建設に着手した。以後,シャンデルナゴル(現,チャンダンナガル。1673取得)とともに同会社の根拠地となった。93-99年にはオランダ占領されたが,イギリスとの間には1730年代までは友好的な関係が維持されていた。しかし42年にJ.F.デュプレックスが総督として着任するに及んで,インドのフランス領化を目ざす彼はイギリスと対立し,カルナータカ戦争をはじめとする諸戦争を南インドで繰り返し戦った。ポンディシェリーはその際のフランス陸海軍の根拠地となった。作戦期の南西モンスーン季には,イギリスの根拠地マドラスに対して風上にあたるという帆船にとって有利な条件を占めていた。しかし1761-63,1778-83,1793-1802年,1803-16年にはイギリスにより占領され,16年最終的にフランス領として確定した。インドにおけるフランス勢力の後退をうけて,以後一港市として存続した。インド独立後1954年の行政権のインドへの移管,62年のインド領への正式編入をうけて連邦直轄領として今日にいたったが,タミル・ナードゥ州への編入を主張する声も強い。

 市街は周囲をブールバールで囲まれ,その海岸沿いの東辺は大遊歩道となっている。市中は街路樹の並ぶ直交状の街路網をもち,フランス風の都市景観を残す。海岸に平行して水路が掘られ,それ以東の約3分の1の地区がかつて〈白い街〉と呼ばれたヨーロッパ人地区で,以西は〈黒い街〉と呼ばれたインド人地区であった。〈白い街〉の中央には長方形状の公園(シャルル・ド・ゴール広場)があり,それを取り巻いて諸官庁,博物館,銀行,病院などが並ぶ。市の南東端の鉄道終着駅に接して埠頭が設けられているが,港市としての機能は衰えている。周辺からの米,サトウキビなどを集散するほか,紡績・綿布工場が立地する。市の北方には東西の知恵を総合した新宗教を唱道したオーロビンド・ゴーシュの道場(アシュラム)にちなむ都市オーロビルが1960年代より建設されつつある。
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百科事典マイペディア 「ポンディシェリー」の意味・わかりやすい解説

ポンディシェリー

インド南東部,ベンガル湾に面するコロマンデル海岸の港湾都市。同海岸のカーライカール,ゴーダバーリー川河口のヤーナム,アラビア海に面するマラバール海岸のマーヒーの旧フランス領植民地と連邦政府のポンディシェリー直轄地を構成する。米,サトウキビ,油料種子を主産。綿工業も行われる。前1―後2世紀にはローマ帝国との交易拠点。17―18世紀フランスが領有,旧フランス領インドの主都。1954年インドに返還。479km2。124万7953人(2011)。
→関連項目デュプレックス

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポンディシェリー」の意味・わかりやすい解説

ポンディシェリー
Pondicherry

インド南部,ポンディシェリー連邦直轄地の行政庁所在地。チェンナイ (マドラス) 南南西約 135km,ベンガル湾にのぞみ,周辺地域とともに直轄地のポンディシェリー地区を形成。 1674年フランスが占領,香料貿易の拠点とした。その後,フランス,オランダ,イギリスの間で争奪が繰返され,たびたびイギリス軍の手に落ちたが,1816年以来フランス領となり,植民地政庁がおかれ,1954年他のフランス領地域とともにインドに返還された。港は大型船が接岸できないため次第に衰微したが,ラッカセイ,綿製品などを輸出。マドラス大学の医学,教育,芸術の各カレッジをはじめ,多くの教育・研究機関やフランス風の建物があり,文化の一中心をなしている。人口 20万 2648 (1991) 。

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