ポーランドソビエト戦争(読み)ポーランドソビエトせんそう

改訂新版 世界大百科事典 「ポーランドソビエト戦争」の意味・わかりやすい解説

ポーランド・ソビエト戦争 (ポーランドソビエトせんそう)

第1次世界大戦とロシア革命後の混乱時代に起こったポーランドソビエト・ロシアの間の戦争。独立を獲得したばかりのポーランドは,1920年4月,独立喪失前の最大版図実現を目ざして内乱と外国干渉で疲弊したソビエト・ロシアに侵入し,5月初旬キエフを奪取した。これに対してソビエト軍は北方南方から反撃を開始し,7月中旬ポーランドのカーゾン線に達した。ソビエトの指導者レーニンは西側列強の警告,トロツキー,ラデックら内部の慎重論にもかかわらず,ポーランドおよびその他の西欧諸国に革命が勃発することを期待して進撃続行を指令したが,8月中旬ワルシャワ郊外でJ.ピウスーツキの率いるポーランド軍に敗れた。10月に戦線膠着(こうちやく)状態に陥り,21年3月ウクライナ,白ロシア(ベラルーシ)を折半した形で講和が成立した(リガ条約)。ポーランドの旧最大版図実現の夢,ソビエト・ロシアの世界革命の夢は破れ,以後両国は国内建設に向かった。しかし両国間の領土問題は第2次世界大戦勃発時に再燃した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポーランドソビエト戦争」の意味・わかりやすい解説

ポーランド・ソビエト戦争
ぽーらんどそびえとせんそう
Polish-Soviet War

1918年11月に成立したポーランド共和国がロシアのソビエト政権との間に行った戦争(1920~1921)。第一次ポーランド分割前の国境を回復し、リトアニア、白ロシア(ベラルーシ共和国)、ウクライナを含めた連邦制により「強大なポーランド」を目ざしていた新生ポーランドは、ロシアの干渉戦争、国内戦に乗じてロシアの西部へ侵攻していた。ピウスツキに率いられたポーランドは、ソ連側の再三にわたる休戦の申入れを拒否、仮国境をカーゾン線とするパリ講和会議での決定をも無視して、1920年5月には赤軍の手中にあったキエフ(現、キーウ)を占領した。その後、赤軍は攻勢に転じ、世界革命の期待に駆られて、ポーランド国境内にまで進攻、7月にはワルシャワに迫ったが、8月、ポーランド軍の反撃で撤退を余儀なくされ、10月、休戦協定が成立した。1921年3月のリガ条約で定められた東部国境はカーゾン線よりはるかに東寄りで、ポーランドはウクライナ人など多数の少数民族を抱え込んだ。

[南塚信吾・柴 理子]

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世界大百科事典(旧版)内のポーランドソビエト戦争の言及

【ポーランド】より

…ピウスーツキはこれを西方では住民投票あるいは住民蜂起によって,東方では戦争によって解決しようとした。ポーランド・ソビエト戦争はこうした背景において起こった。戦争は中途半端な形で終わり,ポーランドは連邦制をとることも単一民族国家となることもできなくなった。…

※「ポーランドソビエト戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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