日本大百科全書(ニッポニカ) 「マイケルズ」の意味・わかりやすい解説
マイケルズ
まいけるず
Duane Michals
(1932― )
アメリカの写真家。ペンシルベニア州マッキーズポート生まれ。旧チェコスロバキア系移民でカトリックを信仰する家庭で育つ。父は鉄鋼労働者だった。アートへの関心は14歳のころに始まる。ピッツバーグのカーネギー・インスティチュートで土曜午後の水彩画クラスに通い、写真にも興味を抱くようになる。1949~1953年コロラド州のデンバー大学で美術を学んだ後、朝鮮戦争が休戦した1953年に徴兵される。除隊後、グラフィック・デザイナーを目ざして、1956年ニューヨークのデザインスクール、パーソンズに入学するが1年でドロップ・アウト。以後、『ダンス・マガジン』誌のアシスタント・アート・ディレクターや、タイム社のデザイナーを務めるなど、出版界でさまざまな仕事に従事。写真家への転機はロシアへのプライベートな旅だった。1958年、外国人による観光が解禁されたばかりの社会主義国家に借り物のカメラを携えて3週間滞在、ロシア市民のポートレートなどシンプルなスナップショットを撮影した。そのできを見て写真家になることを決意。デザイナー時代の人脈に助けられ、独学ながら、2、3年のうちに商業写真の収入で自活できるようになる。
1963年ニューヨークのアンダーグラウンド・ギャラリーで初めての個展を催した。翌1964年ごろから個人的なプロジェクト「empty New York」を開始。コインランドリー、バス、コーヒー・ショップといった都市空間に、いるべきはずの人影がいない光景を撮影したものだが、これらは1966年に学芸員であったネイザン・ライオンズNathan Lyons (1930―2016)が企画しニューヨーク州ロチェスターのジョージ・イーストマン・ハウス国際写真博物館で催された「コンテンポラリー・フォトグラファーズ――社会的風景に向かって」展に、リー・フリードランダー、ゲーリー・ウィノグランドらの作品とともに選出された。同展は1960年代を代表する写真展であり、スナップショットの可能性を広げ、日本の写真家にも多大な影響を与えた。マイケルズは、スナップショットを期待する批評家や鑑賞者の思惑に逆らうように、ストーリーをもった連続写真である新たなシリーズ「シークエンス」をまさに1966年から開始、独自の道をゆくことになった。1970年には初めての写真集『シークエンス』を出版、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で個展も催し、「シークエンス」はしだいに認められるようになる。このシリーズは現在まで続いており、マイケルズ固有のスタイルとよべる。
連続写真はステレオスコープ写真(立体写真)やイドウィアード・マイブリッジなどにより、すでに19世紀から試みられてきていたが、ストーリー性の強いマイケルズの「シークエンス」は写真のもつナラティブ(物語)の魅力を十全に引き出し、鑑賞者に複雑かつ多様な見方を提供する。多重露光をはじめとして、シンプルだが機知にとんだ視覚的な仕掛けは、彼の愛するシュルレアリストの画家マグリットを思わせる。同時代の写真よりも、マグリットやデ・キリコ、バルチュスの絵画にシンパシーを感じながら作品を制作しているとマイケルズは語っている。こうした写真の枠にとらわれない発想は、プリントの上に詩的なキャプションを手書きで書きつけたり(1960年代末から試みられ1970年代なかばから本格化)、写真や写真のエッジにペインティングをほどこすといった表現につながってゆく。
現代美術のミクスト・メディア(ジャンルや手法を混ぜ合わせること)にはるかに先行しながら、マイケルズが自身のアートにおいて探求したものは、人間にとって根源的な主題ともいえる性愛と死である。そこから派生する喪失感や暴力の衝動、セクシュアル・ファンタジー、罪悪感への心理考察にとどまらず、東洋思想に影響を受けた、時間や魂をめぐる瞑想(めいそう)にまで深まっている。また1978年ごろからホモセクシュアリティを明確に打ち出した写真を撮り始めるが、「シークエンス」の枠のなかながらも、きわめて早くからメール・ヌードをとりあげてきた作家としても再評価できよう。セクシュアル・アイデンティティに苦しんだ若き日、魂にさす一条の光であったという、ウォルト・ホイットマンの詩集「草の葉」へのオマージュである写真集『サルート、ウォルト・ホイットマン』を、1996年に出版している。
マイケルズは、鑑賞者や批評家のことを考えて撮ったことは一度もないといいきる。アート・ワールドや社交界の喧騒(けんそう)から離れ、一貫して自身の表現を探求し続ける姿勢にはマスター・オブ・ザ・フォトグラフィの風格があるが、いまもって広告や雑誌の誌面をにぎわす仕事を手がけている。彼の写真が雑誌で愛されてきた理由に、マイケルズの撮るポートレートの秀逸さがあげられる。フリーランスになってからも一度も自らのスタジオはもたず、被写体の居場所に出向き、そこにある光を使って撮影し、マグリットをはじめ、アーティストの肖像において数々の名作を発表した。彼のポートレート作品は写真集『アルバム――ザ・ポートレーツ・オブ・デュアン・マイケルズ1958―1988』(1988)にまとめられている。
[北折智子]
『Album; The Portraits of Duane Michals 1958-1988 (1988, Twelvetrees Press, Santa Fe)』▽『Eros and Thanatos (1992, Twin Palms Publishers, Santa Fe)』▽『Salute, Walt Whitman (1996, Twin Palms Publishers, Santa Fe)』▽『The Essential Duane Michals (1997, Bulfinch Press, Boston)』▽『Questions Without Answers (2001, Twin Palms Publishers, Santa Fe)』