パーソンズ(読み)ぱーそんず(英語表記)3rd Earl of Rosse, William Parsons

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パーソンズ」の意味・わかりやすい解説

パーソンズ(Talcott Parsons)
ぱーそんず
Talcott Parsons
(1902―1979)

アメリカの社会学者。行為の一般理論、構造機能分析、社会体系論などと称される社会学の理論体系を構築し、その学問的影響は広く人類学、歴史学、政治学、および心理学や精神分析などの隣接諸科学にとどまらず、さらには社会福祉学から都市計画などの政策科学応用科学にまで及んでいる。

 1902年12月13日コロラド州コロラド・スプリングズに生まれる。父エドワードEdward Smith Parsons(1863―1943)は組合派教会の牧師。1920年アムハースト・カレッジに入学、生物学を専攻したが、やがて社会科学、とりわけ制度派経済学への関心が高まる。卒業後1924~1925年にかけてロンドン・スクール・オブ・エコノミックスでH・ラスキ、R・H・トーニーに経済学を学ぶが、同時にホッブハウスギンズバーグに社会学を学び、さらにマリノフスキーの文化人類学における機能主義的アプローチに接して大きな影響を受けた。その後1925~1926年にはハイデルベルク大学に留学し、哲学科で社会学的経済理論を研究し、1927年同大学より哲学博士の学位を取得した。その間、M・ウェーバーの業績との出会いはネオ・カント学派としてのパーソンズの社会学理論の発展に大きな影響を与えることになった。

 1927年ハーバード大学で経済学の講師となり、1931年同大学に社会学部が創設されるに至り社会学講師、1944年教授。1946年からは社会関係学部長となり、1949年にはアメリカ社会学会第39代会長を務めた。1967年には、その学問的影響力のゆえに、社会科学者としては初めてアメリカ芸術・科学アカデミーの会長に選ばれている。その後、1973年ハーバード大学を定年退職するまで、アメリカ社会学界の指導的理論家として活躍し、その門下からはW・ムーア、R・K・マートン、K・デービスKingsley Davis(1908―1997)、N・スメルサー、R・ベラーなど著名な社会学者を輩出した。

 パーソンズの初期の研究はヨーロッパの理論家たちの業績に焦点が置かれていたが、その研究は『社会的行為の構造』(1937)において集大成された。それは、ウェーバー、デュルケームパレート、A・マーシャルの著作を比較検討しつつ収斂(しゅうれん)させ、「主意主義的行為理論」の構築を目ざしたものであったが、同時に実証主義的伝統と観念主義的伝統を「分析的リアリズム」に統合する試みでもあった。その後の行為理論の彫琢(ちょうたく)の成果は1950年代に入って『行為の一般理論を目ざして』(1951)と『社会体系論』(1951)に結実する。続いて1960年代に入ると新進化論とサイバネティックスの発想がその理論的支柱となって、いわゆる「AGIL図式」の本格的な完成期に入る。しかし、その十全な展開を終えることなく、1979年5月8日ミュンヘンにて客死した。

[中野秀一郎]

『T・パーソンズ著、武田良三監訳、丹下隆一他訳『社会構造とパーソナリティ』(1973/新装版・2001・新泉社)』『タルコット・パーソンズ著、新明正道監訳『政治と社会構造』上下(1973、1974・誠信書房)』『佐藤勉訳『社会体系論』(1974・青木書店)』『稲上毅他訳『社会的行為の構造』全5冊(1976~1989・木鐸社)』『タルコット・パーソンズ著、丸山哲央訳『文化システム論』(1991・ミネルヴァ書房)』『T・パーソンズ著、田野崎昭夫監訳『社会体系と行為理論の展開』(1992・誠信書房)』『タルコット・パーソンズ著、富永健一他訳『宗教の社会学』『人間の条件パラダイム』(2002・勁草書房)』『田野崎昭夫編『パーソンズの社会理論』(1975・誠信書房)』『高城和義著『アメリカの大学とパーソンズ』(1989・日本評論社)』『高城和義著『パーソンズとアメリカ知識社会』(1992・岩波書店)』『ロランド・ロバートソン、ブライアン・S・ターナー編、中久郎・清野正義・進藤雄三訳『近代性の理論――パーソンズの射程』(1995・恒星社厚生閣)』『松本和良著『パーソンズの社会学理論』(1997・恒星社厚生閣)』『松岡雅裕著『パーソンズの社会進化論』(1998・恒星社厚生閣)』『中野秀一郎著『タルコット・パーソンズ――最後の近代主義者』(1999・東信堂)』『油井清光著『パーソンズと社会学理論の現在』(2002・世界思想社)』『高城和義著『パーソンズとウェーバー』(2003・岩波書店)』『中野秀一郎他著『社会学のあゆみ』(有斐閣新書)』


パーソンズ(Sir Charles Algernon Parsons)
ぱーそんず
Sir Charles Algernon Parsons
(1854―1931)

反動型蒸気タービンを発明したイギリスの機械技術者。ロンドンに生まれる。父親は望遠鏡の製作で知られる天文学者ウィリアム・パーソンズである。ダブリンとケンブリッジ両大学を卒業後、蒸気力利用に関心をもち研究、考案を始めた。1774年にワットが発明した蒸気機関は、ピストンの往復運動を遊星歯車あるいはクランクを用いて回転運動に変えるものであった。それ以後多くの技術者が、蒸気を直接車の周囲に取り付けた羽根に吹き当てて回転運動を得ようという考えをもち始めた。1880年代に発電機を回すために回転数の大きい動力源が必要となってきた。パーソンズは高速回転しても十分に安定で強度の大きい車輪を製作すること、その材料となる金属が熱に対して強いこと、蒸気をむだなく有効に使うくふうをすることなどの問題を解決して、1884年に最初の蒸気タービンを製作し、特許を取得した。1889年ニューカッスルの近くヒートンに会社を設立し、タービンの製作を始めた。その後タービンの性能向上に努め、次々と改良を行い、1891年に復水器付きのタービンをつくった。1897年にはビクトリア女王の在位60年祭に催された海軍観艦式において、パーソンズのタービンを備えたタービニア号が34.5ノット(時速63.9キロメートル)というかつてなかった速度で走った。蒸気タービンは回転速度が大きいので、船の推進プロペラを回すために歯車を使って回転速度を小さくする必要がある。パーソンズは歯車減速タービンを1910年に発明し、そのため蒸気タービンは船舶用動力機械として用いられるようになった。また火力発電所において発電機を動かすのにも使用された。1931年2月ジャマイカのキングストン沖の船中で死去した。

[中山秀太郎]


パーソンズ(3rd Earl of Rosse, William Parsons)
ぱーそんず
3rd Earl of Rosse, William Parsons
(1800―1867)

イギリスの天文学者。星雲観測の第一人者。貴族の子としてヨークに生まれる。ダブリン大学を経て、1822年オックスフォード大学を卒業。下院議員、上院議員として政治的に活躍したが、本来天体観測に関心が強く、1839年に口径約90センチメートル、1842年にその2倍の大反射金属鏡を自作し、1845年から微光天体、とくにJ・ハーシェルが作成した星雲表にある天体の探査に精進した。1850年14個の渦状星雲を確認し、その構造が回転運動によって生じたことを証明しようと努めた。かに星雲、ふくろう星雲、亜鈴星雲など形状の明らかな星雲の名称は彼の命名による。1848年王立協会会長に就任。

[島村福太郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パーソンズ」の意味・わかりやすい解説

パーソンズ
Parsons, Talcott

[生]1902.12.13. コロラド,コロラドスプリングズ
[没]1979.5.8. ミュンヘン
アメリカの社会学者。アマースト・カレッジで生物学,経済学を学び,1924年卒業後ヨーロッパに留学。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを経て,ハイデルベルク大学で M.ウェーバー,W.ゾンバルトの研究に専念。 27年帰国後ハーバード大学経済学講師,31年社会学講師に転じ,36年助教授,44~73年教授。前期の学説の中心は「行為の一般理論」と呼ばれ,後期にはこの一般理論を基礎として,社会体系の「構造・機能的分析」を展開し,多くの社会学者に影響を与えた。特にAGIL図式と呼ばれるシステム存続の機能的要件を定式化した分析図式は,社会体系を構造・機能的分析のために適用されたものとして,彼自身も家族,経済,社会,大学などの分析に用いたし,また多くの社会学者も好んでこの図式を応用している。パーソンズは学説研究者としても知られ,ウェーバーなどの英訳者である。主著『社会的行為の構造』 The Structure of Social Action (1937) ,『社会体系』 The Social System (51) ,『行為理論作業論文集』 Working Papers in the Theory of Action (53,R. F.ベールズ,E. A.シルズと共著) ,『核家族とこどもの社会化』 Family,Socialization and Interaction Process (54,ベールズらと共著) ,『経済と社会』 Economy and Society (56,N. J.スメルサーと共著) ,『社会構造とパーソナリティ』 Social Structure and Personality (64) ,『アメリカの大学』 The American University (71) 。

パーソンズ
Parsons, Sir Charles Algernon

[生]1854.6.13. ロンドン
[没]1931.2.11. ジャマイカ,キングストン
イギリスの技術者。天文学者 W.パーソンズの子。ケンブリッジ大学を卒業。エルスウィックのアームストロング製作所に入り (1877) ,1884年パーソンズ・タービン (軸流反動蒸気タービン) を発明。特許を取って,クラーク・チャップマン会社と提携したが,89年同社と分れて独立,ニューカッスルのヒートンに工場を建設して,蒸気タービン,発電機その他の電気機器の製作を始めた。 91年復水器つきタービンを完成。 97年世界最初の蒸気タービン船『タービニア』号の試運転で,34.5ノットの高速を出し,舶用機関としてのタービンの地位を確立した。 98年ロイヤル・ソサエティ会員,1902年同協会ランフォード・メダル受賞。海洋技術者協会会長 (1905~06) ,イギリス科学振興協会会長 (19~20) 。 11年ナイトの称号を,27年メリット勲章を与えられた。

パーソンズ
Parsons, Robert

[生]1546.6.24. イギリス,ネザーストウィー
[没]1610.4.15. イタリア,ローマ
イギリスのイエズス会宣教師。Robert Personsとも記す。1575年オックスフォード大学を免職になり,ローマに赴いてイエズス会士になる。1580年エドマンド・キャンピオンとともにひそかに帰国し,布教に従事。翌 1581年キャンピオンが逮捕されたため大陸に逃れ,1588年から 9年間スペインに在住。その間イギリス人旧教徒のための神学校を各地に建てるとともに,スペイン王フェリペ2世に再度のイギリス侵寇をすすめ,エリザベス1世に対するたびたびの陰謀に関与した。

パーソンズ
Parsons

アメリカ合衆国,カンザス州南東部にある町。 1870年に設立された。ミズーリ,カンザス,テキサスの各州を結ぶ鉄道の分岐点として発達。第1次世界大戦中には人口1万 8000にも達したがその後衰退した。現在は,穀物や家畜の集散地である。人口1万 1924 (1990) 。

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