ホイットマン(読み)ほいっとまん(英語表記)Walt Whitman

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホイットマン」の意味・わかりやすい解説

ホイットマン(Walt Whitman)
ほいっとまん
Walt Whitman
(1819―1892)

アメリカの詩人。5月31日、ニューヨーク州ロングアイランドに生まれる。父は大工で、トマス・ペインの人権思想の心酔者。母はオランダ系移民の家に生まれ、陽気で自由な性格の女性。1823年、一家はブルックリンに移住したが家計は楽ではなく、ホイットマンは学業を中断し、自立を図る必要に迫られた。1836年には故郷に帰って教職につき、あるいは独力で週刊誌の発行を試みる。1840年の大統領選挙には民主党の側にたって運動し、これがきっかけで、翌年以後政治ジャーナリストとしての生活に入る。1846年にはブルックリンの民主党系新聞『日刊イーグル』の主筆となり、新しく合衆国に加わる地域はすべて自由州と認めさせるフリーソイル(自由な土地)運動を提唱した。しかし彼の所論は民主党保守派の怒りを招き、1848年に職を追われ、新たに結成されたフリーソイル党の機関紙『週刊フリーマン』の主筆になる。しかしその年の大統領選挙に敗れた衝撃から多くの党員が民主党保守派に転向し、そのため孤立無援となったホイットマンは翌1849年秋、読者への決別のことばを紙上に掲げて辞職する。

 1850年代に入ると、彼は議会や政治家を風刺するエピグラムを発表するようになる。一方では乗合馬車の御者席のかたわらに座ってブロードウェーを往来し、民衆の活気を吸収しようと努め、あるいは家業を手伝いながら、読書と思索にふけった。つまりこの時期に詩人ホイットマンが誕生したといえる。現にこのころに書かれた詩には、すでに『草の葉』にみなぎる独特のリズムが聞かれる。

 1855年7月、詩集『草の葉』が世に出た。わずか95ページ、12編の無題詩と長い序文を収めたこの匿名詩集は、従来の伝統詩型や措辞を無視して展開される伸びやかで大胆なビジョンのゆえに、単にアメリカだけでなく、世界の詩の流れに深刻な影響を与えた。初版『草の葉』の奔放無頼な世界は、第三版(1860)になると、新たに収められた『カラマス』などの詩群を通して、愛と連帯の理念が表面に押し出され、秩序と構成を備え始める。この変化の背景には、詩人がアメリカの未来についてしだいに危機感を深めていたという事情がある。初版では『ぼく自身の歌』など叙事詩的広がりを備えた詩を書いた彼が、第三版以後『はてしなく揺れる揺りかごから』のような優れた叙情詩を書くようになる。同じ危機感は論文『民主主義の未来像』(1871)にも濃厚に表れていて、南北戦争後のアメリカ社会の物質主義的風潮が批判され、「人格主義」の必要が説かれている。

 1862年冬、従軍中の弟が負傷し、前線に駆けつけたことがきっかけになって、1863年以後ワシントンで役所勤務のかたわら病院で傷病兵の看護に献身する。合衆国が分裂の危機を切り抜け統一を守りえた経過と、苦痛と死に耐える若い兵士たちの姿を目の当たりにした経験を通して、ホイットマンの心にアメリカの未来への希望がよみがえった。1865年、南北戦争を素材とする小詩集『軍鼓のひびき』を出版、翌年にはリンカーン大統領への挽歌(ばんか)『先ごろ前庭にライラックが咲き』を含む続編を出版。1873年、突然中風の発作に襲われるが、当時ニュー・ジャージー州キャムデンに住む母の急病を聞いて駆けつける。母の死後もその地にとどまって療養に専念し、西部やカナダへ旅行できるほどに回復した。1882年には『自選日記その他』を出版、このころ文名ようやくあがり、国の内外から多くの訪問者が訪れるようになった。しかし体力の衰えも手伝って、しだいにペシミズム傾き、1888年ふたたび発作に襲われ、1892年3月26日、肺炎を併発して死亡。

 日本では没年(1892)に夏目漱石(そうせき)によって紹介され、民主主義詩人として、有島武郎(たけお)のほか白鳥省吾(しろとりせいご)、富田砕花(さいか)らの民衆詩派に大きな影響を与えた。

酒本雅之

『亀井俊介著『近代文学におけるホイットマンの運命』(1970・研究社出版)』『亀井俊介他訳『ウォルト・ホイットマン』(1976・研究社出版)』『杉木喬訳『ホイットマン自選日記』全2冊(岩波文庫)』


ホイットマン(Charles Otis Whitman)
ほいっとまん
Charles Otis Whitman
(1842―1910)

アメリカの動物学者。ボードイン・カレッジを卒業後、J・L・R・アガシーの影響で動物学を志し、ドイツに留学してロイカルトの指導を受けた。帰国後、東京大学動物学科の初代教授であったE・S・モースの推薦により、1879年(明治12)に同学科の第2代教授として来日、2年間日本の動物学の興隆にあずかった。後の同学科教授飯島魁(いいじまいさお)、東大農学部教授石川千代松(いしかわちよまつ)など、多くの動物学者が彼の影響を強く受けた。1881年アメリカに帰国後は、ハーバード大学比較動物学博物館助手、ミルウォーキー臨湖実験所長などを歴任、さらにウッズ・ホール海洋生物学研究所を創設、初代所長となった(1888~1908)。1892年からはシカゴ大学教授も兼任。動物学上の業績としては、ヒルの初期発生の研究、進化における自然選択説と突然変異の研究などがある。

[八杉貞雄 2018年8月21日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホイットマン」の意味・わかりやすい解説

ホイットマン
Whitman, Walt(er)

[生]1819.5.31. ニューヨーク,ウェストヒルズ
[没]1892.3.26. ニュージャージー,カムデン
アメリカの詩人。大工を兼業とする農家に生れ,4歳のときにブルックリンに移り,1830年公立学校を中退,法律事務所や医師の使い走り,印刷工,小学校の教師などをし,41年から新聞記者となる。民主党系のいくつかの新聞の編集にたずさわり,党内の保守層と対立,左派の結成した自由土地派に加わったが,やがて政治の世界に幻滅した。この頃,大都会ニューヨークの民衆の生活に絶えず触れ,民主主義に対する信頼を深めた。 55年7月,本文 95ページ,序文と 12編の無題詩から成る詩集『草の葉』 Leaves of Grassを出版。伝統的な詩とはまったく違う奔放な詩法と内容のため,エマソンらには絶賛されたものの,一般にはあまり受入れられなかったが,特にのちの版で「僕自身の歌」 Song of Myselfと名づけられる詩篇は,詩人の自我が拡大し,あらゆるものと合一してゆく,代表作である。この詩集は,以後死ぬまで改訂や増補を加え,9版を数える。第2版以降,肉体を賛美する詩が多くなり,第3版で加えられた「アダムの子供たち」 Children of Adamは異性間の,「カラマス」 Calamusは同性間の愛情を歌っている。南北戦争勃発とともに負傷兵の看護にあたり,『軍鼓の響き』 Drum-Taps (1865) やリンカーン大統領暗殺の際の「先頃ライラックの花が前庭に咲いたとき」 When Lilacs Last in the Dooryard Bloom'd (66) など,死に関する詩も多い。 71年には民主主義の未来像を述べた『民主主義の展望』 Democratic Vistasを発表,人格的な要素を欠いた民主主義の現状を批判した。ほかに『自選日記』 Specimen Days and Collect (82) などがある。その躍動する詩型はのちの自由詩運動に,また自我の拡大による生の享受の姿勢は,T.ウルフ,H.ミラーらに影響を及ぼした。

ホイットマン
Whitman Corp.

アメリカ合衆国のかつての複合企業持株会社。1962年にイリノイ・セントラル・インダストリーズとして設立。1975年にアイシー(IC)・インダストリーズと改称。1988年ホイットマンに社名変更。ソフトドリンク事業のペプシ=コーラ・ゼネラル・ボトラーズの持株会社として発展。1988年に同社の起源でもあるイリノイ・セントラル・ガルフ鉄道を切り離し,食品部門を強化した。空調・冷蔵設備製造のハスマン,チェーン店を利用して自動車の部品販売やサービスを行なうマイダス・インターナショナルも傘下に擁していたが,1998年分離した。2000年同業のペプシアメリカズを買収し,翌 2001年社名をペプシアメリカズに変更した。2009年ペプシコの完全子会社となった。

ホイットマン
Whitman, Marcus

[生]1802.9.4. アメリカ,ニューヨーク,ラッシュビル
[没]1847.11.29. アメリカ,ワシントン,ワイラトプ
アメリカの医師,会衆派教会宣教師。オレゴン地方の開拓者。宣教師団の一員として北西部地方の先住民族であるフラットヘッド族ネズ・パース族インディアンに耕作,製粉業,灌漑法などを教え医療に従事。みずから馬で大陸を横断して首都ワシントン D.C.におもむき開拓地の実情を訴え,白人開拓団を引率してオレゴンのコロンビア川流域への入植を指導した。 1847年麻疹 (はしか) の流行にあったカイユーズ族が,白人が病気を広めていると信じて来襲。彼は夫人とともに殺害された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android