マウォポルスカ(その他表記)Małopolska

デジタル大辞泉 「マウォポルスカ」の意味・読み・例文・類語

マウォポルスカ(Małopolska)

ポーランド南部・南東部の歴史的地方名。「小ポーランド」の意。現在も南部の一部県名として残る。15世紀から16世紀にかけて建造された木造教会が多く、特に、ビナロワ、デブノ、ムロワナ、ブリズネ、ハチュワ、センコワなど、六つの村に残る教会群が、2003年に「マウォポルスカ南部の木造教会群」の名称世界遺産文化遺産)に登録された。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「マウォポルスカ」の意味・わかりやすい解説

マウォポルスカ
Małopolska

ポーランド南東部,ビスワ川上・中流の地方を指す歴史的地方名。現在のクラクフ,キエルツェ,ジェシュフ,ルブリンなど12県にあたる。ビスワ川をはさんで広がるマウォポルスカ台地は,西はシロンスク高地,北はビエルコポルスカ・クヤビ低地とマゾフシェ・ポドラシェ低地で区切られ,石灰岩,ケツ岩,砂岩からなり,地表はしばしば氷河堆積物やレスに覆われている。鉄鉱石や硫黄を含むが,大部分は農耕地となっている。ポーランド第3の都市クラクフはマウォポルスカ地方の文化,科学,工業の中心都市である。ほかに,ルブリン,キエルツェ,ジェシュフ,タルヌフなどの都市群がある。マウォポルスカ地方は低位の工業化段階の諸県が多く,全国的には低開発地域の性格がなお強い。第2次大戦後,政府は後進地域の工業化政策を積極的に進めてきた。とくにウクライナ共和国南部と上シロンスク工業地帯を結ぶ産業動脈と,各種の地下資源の開発が進むとともに,クラクフ郊外ノバ・フータのレーニン製鉄所の建設など大規模な工業開発が進展し,著しく工業化した。

 9世紀にはすでに小領主が存在し,9~10世紀には大モラビア帝国やボヘミア公国の一部となった。10世紀末には新興のポーランド国に吸収され,16~18世紀のポーランド・リトアニア連合王国の時期には,マウォポルスカ地方はウクライナの一部に編入された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マウォポルスカ」の意味・わかりやすい解説

マウォポルスカ
Małopolska

ポーランドの南部と南東部を含む歴史的地方名。別称小ポーランド。ウィシラーニェ人の土地で,10世紀末にポーランド国家の一部となった。歴史の古いポズナン・カリシュ地域 (ポロニアマヨール,ウィエルコポルスカ ) と区別するためにつけられたラテン語のポロニアミノールから出た名称。マウォポルスカ地方は鉱業製鉄業が早くから発達し,土地が肥沃なうえ,重要な交易路や多くの町があったため,ポーランドの他の地域より栄え,政治にも大きな発言力をもっていた。ポーランド分割の結果,大部分の地域がオーストリア (ガリチア) の,一部の地域がロシアの支配下に入った。 1809年ウィスワ川とサン川の北側のオーストリア占領地域がワルシャワ公国に,さらに 1815年ロシア領ポーランド王国 (会議王国) に入った。クラクフ一帯はクラクフ共和国 (1815~46) となったが,のちオーストリアに編入された。 1918年東部地域を除いて,新生ポーランドの領土となった。この地域一帯には中世の木造教会群がいまも残り,2003年世界遺産の文化遺産に登録された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android