改訂新版 世界大百科事典 「マブリー」の意味・わかりやすい解説
マブリー
Gabriel Bonnot de Mably
生没年:1709-85
フランスの歴史家,哲学者。コンディヤックの兄。グルノーブルの法服貴族の出で,パリの神学校に学ぶ。のちに僧籍を離れてタンサン夫人のサロンに出入りし,外交職に就く。1750年代に入って共和主義思想を深め,ルソーと並び称される社会批判を展開して,バブーフら革命期の思想家たちに影響を与えた。理念的な平等社会を夢見るマブリーは,君主制の枠内にとどまる百科全書派(アンシクロペディスト)を嫌い,また私有と利潤を認める重農主義学派を批判して《経済哲学者に呈する疑念》(1768)を発表した。マブリーには神の定めた普遍的道徳律に対する揺るぎない信念があり,最も大胆な著作といわれる《立法についてDe la législation》(1776)の中では,私有財産を否定して,あらゆる財貨の共有制の上に築かれる共産社会を主張した。近代社会主義思想の先駆者の一人といわれている。
執筆者:鷲見 洋一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報